古墳とその時代
名古屋市博物館は、リニューアル改修に伴い令和5年10月1日(日曜)から令和8年度(予定)まで長期休館中です。こちらのページは休館前の常設展示室の様子になります。
問題
解答
弥生時代も終わり頃になると、各地の地域権力がしだいに一つにまとめられていく。近畿地方に現われた中央権力と政治的関係を結んだ各地の豪族は巨大な古墳を造った。尾張地方では、4世紀前半に白鳥塚(しらとりづか)古墳や東之宮(ひがしのみや)古墳が造られ、5~6世紀には断夫山(だんぷさん)古墳のような大型古墳が築造された。そして6~7世紀になると小さな円墳が群集して造られるようになった。
古墳には、死者とともに装身具や宝器や武具、葬送の儀式や祭祀に用いられた道具などが納められた。前期には、古墳は政治的な権力者の墓として築かれ、副葬品も鏡や石釧(いしくしろ)・鍬形石(くわがたいし)などの宝器的なものが多い。後期になると、古墳を造る範囲はムラの有力者やその家族にまで広がり、古墳はその数を増した。そして、馬具や須恵器、実用的な鉄器の副葬が一般的になった。
前期古墳の副葬品
(ぜんきこふんのふくそうひん)
古墳時代のくらしは弥生時代の生活様式を受け継いでいるが、鉄製農具の改良・普及や灌漑技術の発達などにより、耕作地が台地上にも広がった。また、カマドをもつ住居も現われた。さらに、朝鮮半島から須恵器(すえき)を作る技術が伝わり、窯で焼かれた硬い須恵器と弥生土器の系統をひく土師器(はじき)が使い分けられるようになった。
土師器と須恵器 鉄の鍬先と斧
(はじきとすえき てつのくわさきとおの)