展示

11 幕末維新の尾張

問題

解答

天保の改革の失敗とペリーの来航をきっかけとして、幕府は崩壊への道をたどっていった。長州征伐などの事件を経て、慶応3年(1867)、王政復古の政変によって、天皇を中心とした新政府が成立した。この頃、前尾張藩主徳川慶勝は勤王派であったため、佐幕派とみられる藩士が処刑された青松葉事件がおこっている。

幕末維新の尾張展示風景

11-1 長州征伐

元治元年(1864)、幕府は尊皇攘夷運動の中心であった長州藩を倒すため、兵をおこした。征長総督には前尾張藩主徳川慶勝が任命され、尾張藩士も出兵した。出兵費用は、城下の町人などから調達金として集められた。慶勝は長州藩の責任者を処刑し、兵を引き上げた。しかし、幕府はその処分は甘いと考えたので、慶勝との関係は悪化していった。

エンフィールド銃(えんふぃーるどじゅう)

エンフィールド銃
(えんふぃーるどじゅう)

11-2 明治維新と民衆

維新政府は、慶応4年(明治元年・1868)に五榜の掲示として、5枚の高札を民衆に示した。それらは、キリシタンや強訴・徒党の禁止など江戸時代と変わらない内容のものであった。しかし民衆は、地租改正など新政策に反対する一揆を起こすこともあった。とくに尾張では地租が増加した地域も多く、明治10年に春日井郡で大規模な地租改正反対一揆が起きている。

五榜の掲示(ごぼうのけいじ)

五榜の掲示
(ごぼうのけいじ)