展示

5 窯業

名古屋市博物館は、リニューアル改修に伴い令和5年10月1日(日曜)から令和8年度(予定)まで長期休館中です。こちらのページは休館前の常設展示室の様子になります。

5世紀前半に朝鮮半島から、ロクロで形づくり、丘陵の斜面を利用した窯で堅いやきものを焼くという生産技法が伝えられ、近畿地方を中心に広まった。須恵器と呼ばれるこのやきものの生産技術は、ほどなく名古屋市東部の丘陵地帯へも伝わった。良質の陶土に恵まれた尾張地方は、以後さまざまな技術改良を経ながら、やきものの一大生産地として発展していった。

窯業展示風景

5-1 古代の窯業

古墳時代に始まった須恵器の生産は、奈良・平安時代へと引き継がれていく。また、器物に上薬(釉薬)をかける技法も7世紀に伝わり、古代における陶器生産は、強大な国家権力の支配下におかれた。尾張では灰薬をかけた灰釉陶器(かいゆうとうき)が、猿投(さなげ)山西南麓で8世紀後半に初めて生産され、11世紀後半まで尾張の特産物として都や東国の官衙などに供給された。

灰釉長頸壺(かいゆうちょうけいこ)

灰釉長頸壺
(かいゆうちょうけいこ)

5-2 中世の窯業

平安時代末期、良質な輸入陶磁器の増加などにより猿投窯(さなげよう)は衰え、やきものの生産は周辺に拡散した。生産の中心地となったのは、壺・甕・擂鉢を主に焼く常滑窯・渥美窯や、碗・皿を主とする名古屋市東部の窯で、製品は、いずれも上薬のかけられない陶器であった。鎌倉時代になると新たに中国製の陶磁器をまねた高級な施釉陶器(せゆうとうき)を焼く瀬戸・美濃窯も生産を開始した。

魚波文瓶子(ぎょはもんへいし)

魚波文瓶子
(ぎょはもんへいし)