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研究と事業

最近話題となった当館の活動を紹介します。

日本初、豊臣秀吉文書集を刊行しています。

 名古屋市博物館では、名古屋出身の天下人、豊臣秀吉について調査をすすめ、平成24年度より日本初の全秀吉文書の翻刻による文書集を刊行しています。
信長・秀吉・家康の中で、秀吉の文書集だけが現在まで刊行されていませんでした。それは、膨大な数の文書が伝えられており、その全容がつかめないためでした。当館では編集委員会を組織し、織豊期の研究者とともに検討を重ねて、約7000通の文書を年代順に集成していきます。これにより、秀吉の、文書の初見から没年まで30年以上にわたる活躍を通覧でき、豊臣政権の究明や古文書研究にも寄与する史料集となります。

書籍情報

・『豊臣秀吉文書集』第1巻 販売価格8,000円(税別) 菊判336ページ 平成27年2月刊
内容

永禄8年(1565)から天正11年(1583)までの秀吉の文書945点を翻刻(活字化)して収録。現存する年代が判明する最古の秀吉文書から、賤ヶ岳の合戦御、信長の後継者として頭角を現すまでの文書がある。

・『豊臣秀吉文書集』第2巻 販売価格8,000円(税別) 菊判342ページ 平成28年2月刊
内容

天正12年(1584)から天正13年(1585)までの秀吉文書884点を翻刻(活字化)して収録。天正12年の小牧・長久手の戦いから、関白となる天正13年までを収録。

・最新刊『豊臣秀吉文書集』第3巻 販売価格8,000円(税別) 菊判314ページ 平成29年2月刊
内容

天正14年(1586)から天正16年(1588)までの秀吉文書817点を翻刻(活字化)して収録。九州攻めから、刀狩令など主要法令の発布、聚楽第行幸を実現させるまでを収録。

編集
名古屋市博物館
発行
吉川弘文館
販売場所
大手書店、博物館ミュージアムショップにて販売
続刊

年代順に掲載し、全9巻を予定

  • 第1巻 永禄12年(1584)~天正11年(1583)
  • 第2巻 天正12年(1584)~天正13年(1585)
  • 第3巻 天正14年(1586)~天正16年(1588)
  • 第4巻 天正17年(1589)~天正18年(1590)
  • 第5巻 天正19年(1591)~文禄元年(1592)
  • 第6巻 文禄2年(1593)~文禄3年(1594)
  • 第7巻 文禄4年(1595)~慶長3年(1598)
  • 第8巻 年未詳
  • 第9巻 補遺・索引

編集委員会の体制

委員長
三鬼清一郎 名古屋大学名誉教授
副委員長
藤井譲治  京都大学名誉教授
委 員
跡部 信  大阪城天守閣
加藤益幹  椙山女学園大学教授
播磨良紀  中京大学教授
藤田達生  三重大学教授
藤田恒春  前京都橘大学
山口和夫  東京大学史料編纂所准教授
中野 等  九州大学教授
事務局
名古屋市博物館
パンフレット

名古屋市博物館だよりから

 当館では、学芸員の活動や研究などについて紹介するため、年間4回、親しみやすくわかりやすい読み物として「名古屋市博物館だより」を編集・発行しています。館内及び、分館の蓬左文庫・秀吉清正記念館などで配布するほか、名古屋市博物館友の会の会員に送付します。平成25年度以降の博物館だよりは本サイトでもダウンロードできます。

東日本大震災と埋蔵文化財の調査 -宮古市派遣の記録-

 岩手県の沿岸地方に所在する宮古市。昨年9月までNHKで放送された、岩手県久慈市をモデルとするドラマ「あまちゃん」をご覧になった方は、ドラマ中の北三陸鉄道リアス線の終着点として思い出されるかもしれません。宮古市を含む東北地方の太平洋沿岸地域では、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により甚大な被害が発生し、今なお復興の途上にあります。

被災地での埋蔵文化財発掘調査

 被災地では、被災者のための新しい住宅の建設が急がれています。また、復興のための道路整備や、各種施設の建設も急ピッチで行われています。こうした建設工事が行われる場所に遺跡がある場合、事前に発掘調査を実施することになっています。

 もちろん遺跡調査は、復興の妨げにならないよう、速やかに行われなければなりません。しかし、現地の担当者だけでは対応できないことも多いため、全国各地の文化財担当者が被災地に派遣され、遺跡の発掘調査にあたっています。名古屋市も今年度、宮古市の発掘調査に協力することとなり、その派遣職員として7月~9月の間、発掘調査に従事しました。

宮古市での発掘調査

 宮古市には、国史跡崎山貝塚をはじめ縄文時代の遺跡が数多くあります。また、関東以西の地域との交流が活発化した平安時代以降の集落跡が多いことも知られています。名古屋では縄文時代の遺跡を調査することはあまりありませんが、私も発掘調査は数多く経験していますので、効率的な発掘調査を進める役には立てるだろうと考え、宮古に向かいました。

 7月1日に宮古市役所で辞令を受け取り、早速2日から、田老(たろう)地区の越田松長根(こしだまつながね)Ⅰ遺跡、その後9日からは日の出町Ⅱ遺跡の調査に携わりました。日の出町Ⅱ遺跡では、縄文時代の遺構や古代の竪穴住居が見つかったほか、縄文時代早期から古代の膨大な量の遺物が出土しました。縄文時代の落とし穴、縄文時代後期の多量の土器など、名古屋では経験したことのない遺構・遺物の調査は新鮮でした。

 上司や同僚職員の配慮によって、発掘調査に専念すればよい環境が築かれ、とても充実した日々を送ることができました。ただ、発掘調査の進め方も、見つかる遺構や遺物も異なるため、戸惑うことも多く、「宮古でもできるだろう」という当初の自信が揺らぐのを感じました。それでも、やっと宮古の発掘調査になじんできた頃、私の派遣期間は終わりました。

 発掘調査を円滑に、手際よく進めていくことなど、名古屋ではできると思っていたことが、条件の異なった宮古では、思っていたほどにはできず、「井の中の蛙」であったことを痛感させられました。

被災地と埋蔵文化財の保護

 被災地では、復興事業の遅れが取り沙汰されています。遺跡の発掘調査もその遅れの原因の一つとされることがあります。そうした声に対し、地元の関係者の方は東奔西走し、遺跡が原因で遅れたということのないようにと努めています。そうした努力もあって、現地で遺跡調査についての批判を直接聞くことはありませんでした。しかし、このような緊急事態のときに、遺跡の調査がなぜ必要なのか、という声があるのは確かです。

 文化財の貴重さ、重要さという一般的な説明については、遺跡の調査に批判的な方も十分承知でしょう。しかし、復興が急がれている時に、それだけで納得してもらうのも難しいように思いました。現地にいる間、そうした声にはどのように答えるべきなのか考えていましたが、満足な答えはまだ見つかっていません。ただ、そうした人たちにも文化財の持つ可能性が感じられるよう、成果を活用し、還元していく地道な活動が重要なのは確かだと思います。

 派遣期間の3か月の間、思っていたようには調査が進められず、宮古の役に立っているのかと考えることもありましたが、周囲の人たちにも恵まれ、充実した日々を過ごすことができました。そして、災害に備えること、災害が起きた場合の対応、地域の方との関わりの重要さなど、多くのことを学びました。今回の経験を、名古屋市での仕事に活かすことが今後の課題です。特に、文化財保護の意味づけは、被災地だけの問題ではありません。日々の活動の中で、答えが見つかればと思います。(村木誠)

 名古屋市博物館だより208号(2013年1月1日発行)より抜粋

「日の出町Ⅱ遺跡調査の様子」

最近の報道から

新たな発見や研究の重要性などから、新聞記事などで取り上げられた当館の活動を紹介します。

中日新聞朝刊 2016年11月9日 地域総合面

 名古屋叢書、デジタル復刊へ 名古屋市蓬左文庫
江戸時代の名古屋にまつわる歴史資料を活字本にした「名古屋叢書」の一部を、「デジタル版名古屋叢書」として、名古屋市蓬左文庫が復刊していく。第1弾は名古屋城百科事典として人気がある。同文庫の鳥居和之文庫長は「歴史資料は市民が共有すべき文化遺産。だれでもいつでも閲覧できる環境をつくっておくことが大切だ。」と話す。「金城温故録」のデジタル復刊は、今年度内に発売する予定。

中日新聞日刊 2016年10月23日 小中学生版「ジュニア中日」

 190年ぶり ラクダ行列
名古屋市中心部の大須商店街では15日、珍しいラクダ行列がお目見えした。恒例の「大須大道町人祭」の目玉行事として、190年前を再現。2頭のフタコブラクダが商店街を巡り、買い物客や観光客の視線をくぎ付けにした。江戸時代後期の1826(文政9)年に大須観音の門前にラクダがお目見えしたことが、尾張藩士がまとめた記録に残っている。かつてのラクダブームのにぎわいを再現しようと、祭りの実行委員会は、滋賀県の動物園からラクダ2頭を借り、記録の挿絵を参考にして付き添いの衣装も作った。

日本経済新聞日刊 2016年10月16日

 ラクダ行列!大熱狂!
大須大道町人祭が開かれた15日、江戸時代、町をにぎわした「ラクダ行列」が名古屋市中区の大須商店街にお目見えした。190年ぶりの復活に、大勢の見物客が詰めかけ、楽しんでいた。名古屋市博物館によると、行列は尾張藩士の日誌「絵本駱駝具誌」に記録されたラクダの見せ物に由来する。当時、大須観音の門前には見せ物小屋を設けたといい、文献では当時の熱狂ぶりがうかがえる。

中日新聞日刊 2016年10月16日

 ラクダ行進 こりゃ楽だ 大須商店街で大道町人祭
中区の大須商店街一帯で大道芸が披露される「大須大道町人祭」で、目玉行事「ラクダパレード」を開催。1826(文政9)年に大須観音の門前にラクダがお目見えした様子が、江戸時代にまとめられた「絵本駱駝具誌」に記録されており、これを参考にパレードを企画。

朝日新聞朝刊 2016年10月16日

 江戸期の流行 再来?
名古屋・大須の商店街を15日、2頭のラクダがパレードをした。「大須大道町人祭」に合わせ、大須商店街連盟の店主たちが仕掛けた。江戸時代の1826年に大須の見せ物小屋にラクダが登場してブームに沸いた様子を再現しようという試み。名古屋市博物館収蔵の絵図を参考に衣装なども用意した。

中日新聞夕刊 2016年10月12日

 大須ラクダ行列再び 15日、江戸時代の資料基に
尾張名古屋に190年前の驚きを。大須商店街(名古屋市中区)で15、16日に開かれる「第39回大須大道町人祭」で、江戸時代のラクダ行列が再現される。当時、珍しい動物として全国的に人気を集め、大須にも2頭がやって来たとの記録が残る。実行委員会は資料を基に準備を進め、当時の熱気再来を狙う。

朝日新聞夕刊 2016年10月12日

 ラクダ行列 190年ぶり復活 大須商店街 15日の祭りで
かつて名古屋・大須の町をにぎわせたというラクダの行列が15日、190年ぶりに復活する。「新しく、面白いことをやろう」と大須商店街の店主たちが仕掛けた。
大須の興業文化に詳しい、名古屋市博物館学芸員の武藤真さんから、江戸時代に「ラクダブーム」があったことを聞いたのがきっかけだ。市博物館に収蔵されている江戸時代後期の資料「絵本駱駝具誌」に当時の盛り上がる様子が記録されている。

中日新聞朝刊 2016年6月18日

 市博学芸員 尾張藩の「水防」調査 増水時堤防切り橋保護
江戸時代前期、尾張藩が想定外の増水時に大切な橋を守るために堤防を決壊させたことを、名古屋市博物館の鈴木雅学芸員が明らかにした。庄内川沿いの下小田井村・枇杷島村(現在の西区・清須市)に関する藩の文書を調べてわかった。

中日新聞夕刊 2016年4月8日 文化面

 名古屋市博物館所蔵の土器片 神戸「幻の古墳」出土と判明
名古屋市博物館が所蔵する古墳時代の埴輪・須恵器片合計17点が、兵庫県最大規模の前方後円墳の国史跡 五色塚古墳(4世紀後半・全長約200m、神戸市垂水区)にともなう2基の円墳、歌敷山東古墳・歌敷山西古墳の出土品であることが、名古屋市博物館の藤井康隆学芸員(考古学)の調べで分かった。それら2古墳は90年近く前に発掘調査されたが、これまでその出土品は京都大総合博物館所蔵の形象埴輪片1点のみしか知られていなかった。

中日新聞夕刊 2016年2月5日(以降、毎週金曜日連載)

 猿猴庵と行く東海道の旅
1786年(天明6)、尾張藩士の高力種信(猿猴庵)が江戸へ旅に出ました。猿猴庵が江戸に出たのはこの一度きりですが、東海道を旅した際に見聞きした様子を絵に描き、『東街便覧図略』(とうかいべんらんずりゃく)として藩主に献上しています。本館の山本祐子調査研究員が、この『東街便覧図略』を利用し、これまでとはひと味違う東海道の旅を紹介していきます。

中日新聞朝刊 2015年12月11日

 遊び心が生んだ大作 名古屋・西別院 120畳大 北斎「大達磨図」
十二月三日、西別院で百二十畳大の「大達磨図」が公開されました。これは葛飾北斎が同境内で描いた同サイズの絵の複製です。津田卓子学芸員によると、町中に開催告知ポスターが貼られたことから、作品を売るプロモーション活動ではといいます。輪番の菅原良成さんは「画題の達磨さんは禅宗のお坊さんです。細かなことは横に置き、(西別院を)庶民が幅広く集まるコミュニティーの中心であろうとしたのでは」と話しています。

中日新聞夕刊 2015年12月7日

 北斎の大達磨図を名古屋別院で披露
大達磨は、1817年に北斎が西別院で即興として描いたもので、多くの人たちが気軽に集まれる場所だった往事の姿を再現しようと、西別院が、市博物館が開館十周年記念に復元した図を公開しました。クレーン車二台でつり上げると歓声が上がりました。

中日新聞夕刊 2015年12月4日

 豆みそとたまりしょうゆ考
「名古屋めし」の素材の中で特に重要な「赤みそ」と呼ばれる豆みそ、たまりしょうゆについて名古屋市博物館の長谷川洋一学芸員が解説しています。老舗企業の豆みそづくりは木製の桶を使い、蔵の個性を反映した製品には「蔵ぐせ」があるといいます。老舗販売店でも得意先ごとに調合を変えてたまりしょうゆを販売し、木製の桶を使うことで独特の味わい、個性としました。それが積み重なって地域に根付いてきたと解説します。

中日新聞朝刊 2015年11月23日

 国宝「琱玉集」を一般公開
大須観音が所蔵する国宝「琱玉集」の一般公開が22日から29日までの期間、名古屋市博物館で始まった。「琱玉集」は中国で編さんされた全十五巻の手引書を七四七(天平十九)年に日本で書写したもの。鳥居和之学芸課長は「これまで国立博物館に寄託されていたが、地元の方に見てほしいという所蔵者の意向で今回の公開につながった」と経緯を話しています。

毎日新聞朝刊 2015年11月22日

 琱玉集:国宝70年ぶり里帰り 大須観音で法要
大須観音が所蔵する国宝「琱玉集」が21日、寄託先の東京国立博物館から70年ぶりに「里帰り」し、法要が営まれました。「琱玉集を名古屋へ戻そう」と大須観音が国立博物館に働きかけを続け、名古屋市博物館で保管されることになりました。大須観音の貫主、岡部快圓さんは「念願がかなった。先人たちの恩に報いられるし、重みを感じている。後世に残るよう、市民や県民の宝として多くの人に存在を知ってもらいたい」と話しています。

日本経済新聞朝刊 2015年11月22日

 
大須観音が所蔵する「琱玉集」が寄託されていた東京国立博物館から約70年ぶりに戻り、新たな保管先の名古屋市博物館で22日から一般公開されます。大須観音は古典籍を所蔵する国内指折りの文庫があり、岡部快圓貫主は「水害や戦災をくぐり抜けてきた貴重なもの、多くの人に見てもらいたい」と語っています。

朝日新聞夕刊 2015年11月20日

 珠玉の漢籍70年ぶり里帰り
名古屋の大須観音(宝生院)が所蔵する国宝「琱玉集」が寄託されていた東京国立博物館から約70年ぶりに里帰りし、新たな寄託先となる名古屋市博物館で22日から公開されます。名古屋市博物館によると、文書は9世紀、紙の裏面に三蔵法師の文章を書写した2巻の巻物に姿を変え、東大寺の蔵書になったのち、大須観音が譲り受け、江戸時代に尾張藩の学者が裏面の「琱玉集」を発見し、保存につながったといいます。

読売新聞朝刊 2015年11月20日

 国宝「琱玉集」名古屋に戻る
「琱玉集」は、大須観音が所有する6~7世紀に中国で編さんされた漢詩文の教科書で、寄託先の東京国立博物館から名古屋へ戻ることになった。保管先は名古屋市博物館に決まり、22日から29日まで期間限定で公開されます。名古屋市博物館では「大変貴重なもの。多くの方にぜひ足を運んで見てもらいたいと」と話しています。

中部経済新聞朝刊 2015年11月18日

 視野広く、何事にも興味 名古屋市博物館佐野尚子さん
名古屋市博物館の佐野尚子さんは普及係として教育・普及を担当しています。小学校の出前授業では、自分の知らないことを生徒に質問されることもあり、「勉強になる。楽しい」と笑顔をみせます。学芸員の仕事について「目指すなら1つのことにこだわるより視野を広く」「興味がないことでもプラスになるよう意識して取り組めば面白さを感じるはず」と話しています。

朝日新聞朝刊 2015年11月1日

 なるほどランド 横井庄一さん どんな人
今年で生誕百周年を迎えた愛知県出身の横井庄一さんを特集。太平洋戦争の終戦を迎えたグアム島で28年間も潜んでいた横井さんについて、名古屋市博物館調査研究員の竹内弘明さんは、「温暖なグアム島の環境に加え、人が生きるために必要な着る服、食事、住居の衣食住を自分の力で何とかできたたくましさがあった」と話しています。

朝日新聞夕刊 2015年10月8日

 戦前・戦中のポスター・チラシ600点寄贈
愛知県岡崎市の栗田仁志さんが、戦前・戦中の旧満州関連を中心にしたポスター600点を名古屋市博物館に寄贈しました。竹内弘明調査研究員は、「実態はともかく満州の豊かさを強調し、旅行や開発への参加を宣伝するためにも作っただろう」と話しており、今後、分析を進めていく予定です。なお、寄贈品の一部は10月17日から開催される企画展「横井庄一さんのくらしの道具」展で展示されます。

中日新聞夕刊 2015年8月8日

 夢かない学芸員に
新人学芸員の横尾拓真さんがゆうかんさろんに紹介されました。美術工芸の学芸員として、貴重な資料と向き合う楽しさをどう来館者に伝えるか模索中です。兵庫県出身で大学は東京だったため、初の名古屋暮らしですが、「正月生まれといわれる豊臣秀吉とおなじ1月生まれなので名古屋に縁を感じています」とのこと。

中日新聞朝刊 2015年7月20日

 謎解きゲームで企画展盛り上げ
名古屋市博物館のサポーターをしている名古屋市立大学のサークル「MARO」が、19日、開催中の魔女展に絡めた謎解きゲームを開催しました。学生が考えた問題を解くことで、特別展会場を抜け出して常設展に隠れた魔女を連れ戻すという設定で、おおいに盛り上がりました。

中日新聞夕刊 2015年7月11日

 学問間の架け橋に
新人学芸員の鈴木雅さんがゆうかんさろんに紹介されました。民俗分野を担当する学芸員として、市民からの問い合わせなどに対応しています。学生時代の専門が日本近世史ということもあり、「まだまだ勉強。力をつけて、民俗学と歴史学の架け橋となる」仕事を目指しています。

中日新聞朝刊 2015年7月1日

 市博物館に銅鏡140面贈る
古代から近代まで中国歴代の銅鏡約百面を中心とする一大コレクションが名古屋市博物館に寄贈、寄託されました。中村区の松本勝弘さんが収集したもので、中国鏡は、紀元前八世紀ごろから清朝の時代まで二千数百年にわたります。なかでも紀元前二世紀前半ごろの彩画鏡は「国内外で三十面余りしか確認されていない超珍品」と担当の藤井学芸員は述べています。

中日新聞朝刊 2015年6月9日

 最古の伊勢参宮図屏風 白色顔料から「鉛白」 近世絵画の”定説”見直しも
2013年3月、名古屋市博物館によって確認された最古の「伊勢参宮図屏風」が約一年間の修理を終えてよみがえり、2日にお披露目式が行われました。修理に先立ち、東京文化財研究所で行われた蛍光エックス線検査では「鉛」が検出され、白色顔料として鉛が使われていたことがわかりました。津田学芸員によると「江戸時代の白色絵の具といえば貝殻から作られる胡粉」といい、同時に貝殻のカルシウムも検出されたため、胡粉と鉛白を併用していたことが判明しました。

読売新聞朝刊 2015年6月4日

 文化財 寄付で復活
名古屋市博物館が寄付を募って文化財を修復するプロジェクトにより、「復活」した所蔵品がお披露目されています(7月5日まで)。修復前の姿もパネルで展示し、どう生まれ変わったかを紹介しています。

中日新聞 2015年5月31日

 よみがえった伊勢参宮図屏風
「よみがえれ文化財」の寄付により、江戸前期ごろの「伊勢参宮図屏風」の修復が行われました。津田卓子学芸員は、「作品の劣化につながる大きなたわみがなくなり、後世に伝えることができる」とホッとした様子。このほか、古墳時代の大刀はサビの進行を止める保存処理を施し、戦後の名古屋を写した貴重な写真のネガフィルムをデジタル資料化しています。

朝日新聞朝刊 2015年5月30日

 よみがえった収蔵品
名古屋市博物館では「よみがえれ文化財」と名付けた事業により、傷みが激しい収蔵品の修復費用の寄付を市民に呼びかけました。寄付を財源に古墳時代の「金銅装頭椎大刀(こんどうそうかぶつちたち)」や17世紀後半の「伊勢参宮図屏風」などの修復が実現し、6月2日から7月5日まで常設展で公開されます。

日本経済新聞 2015年4月18日

 秀吉の「通説」に新見解
「豊臣秀吉文書集」の刊行にともない秀吉の名乗りや政策などに新見解が示されています。秀吉が関白職をゆずったおいの秀次は、秀吉の操り人形ではなく、独自の体制を築いていたことや、全国の大名に停戦を命じた「惣無事令(そうぶじれい)」に明確な命令書が存在していないこと、秀吉の名乗りの変遷などが明らかになっています。

中日新聞朝刊 2015年3月15日

 なるほどランド 古文書から見えてくる秀吉
貧しい身分から出世して天下統一した戦国武将として人気の豊臣秀吉。名古屋市博物館が刊行する「豊臣秀吉文書集」からみえてくる秀吉のイメージは、部下や他の大名とまめに連絡をとり、情報をうまく操作して人の心をつかむなど、皆さんの知っている伝記などのイメージと少し違った人物かもしれません。

日本経済新聞夕刊 2015年2月12日

 秀吉 人情家だった!? 名古屋市博物館、文書集編さん
名古屋市博物館は、豊臣秀吉が大名や家来に宛てた手紙や命令書など約7千通をまとめた文書集の刊行を始めました。戦いで傷ついた家臣に「医者を派遣する」手紙が多く残り、鳥居和之学芸課長は、「秀吉は口うるさいワンマン社長のようなイメージだが、家臣には常に気を配っていた」と話しています。

中日新聞朝刊 2015年2月10日

 秀吉文書集刊行始まる
豊臣秀吉が発した膨大な文書を網羅する『豊臣秀吉文書集』(全九巻、名古屋市博物館編、吉川弘文館)の刊行が始まりました。編年でまとめる文書集に対し、「手紙類は(年代がなく)月日のみが通例で、編年を完成するのは難しい」と、鳥居和之学芸課長は編集の苦労を明かしています。

読売新聞朝刊 2015年2月4日

 秀吉文書7000通網羅
名古屋市博物館は約7000通に及ぶ豊臣秀吉の文書を網羅する「豊臣秀吉文書集」の刊行を開始しました。数が多い秀吉文書をまとめることは初めての取り組みと紹介しています。

朝日新聞朝刊 2015年2月3日

 秀吉 実はうるさい上司?
名古屋市博物館が2日、豊臣秀吉が大名や家来に宛てた手紙や命令書をまとめた文書集を初めて刊行すると発表しました。秀吉が出した文書類は約7千通で、鳥居和之学芸課長は「性格も読み解ける」とし、「上司ならうるさいタイプかも」と話しています。

中日新聞朝刊 2015年2月3日

 7000通まとめてみせよう秀吉集
名古屋市博物館は、地元ゆかりの戦国武将、豊臣秀吉が書いた手紙や命令書などを年代順にまとめた文書集の刊行を始めました。

中日新聞夕刊 2014年10月20日

 名古屋城下町 水道記録あった ~江戸時代の資料 初確認~
江戸時代、尾張藩が名古屋城下西部に整備した上水道の敷設管理状況を詳しく記した文書が、名古屋市博物館の調査で初めて確認されたことが報じられました。
岡村学芸員が「名古屋城下の都市計画を探る上で根幹となる資料。不要になれば廃棄する類いの行政文書で極めてめずらしいもの」と話しました。

中日新聞朝刊 2014年8月19日

 伊勢湾台風記やっと公開
昭和34年(1959)に東海地方を襲った伊勢湾台風の被災体験を名古屋市南区白水小学校の児童がつづった作文を8月27日から名古屋市博物館で展示します(9月28日まで)。
展示されるのは、本人の了承が得られた15人分で、博物館では引き続き作文を書いた本人捜しを続け、了承を得られれば展示していきたいと考えています。
伊勢湾台風55年 白水小学校の記録から

中日新聞朝刊 2014年8月17日

 市博物館の調査により、1500年前の高句麗の瓦判明
常設展話題のコーナー「東アジア交流の考古学」に出品中の瓦が、1500年前、高句麗の楽浪土城で用いられた瓦と判明。担当の藤井学芸員は「5世紀以降の重要遺跡の謎を解く上で貴重な資料」と話しています。

中日新聞朝刊 2014年7月8日

 「志段味古墳群」国史跡指定答申
名古屋市守山区の志段味古墳群が6月に国史跡指定答申を受けました。学芸課の瀬川主査は「市民に古墳時代のイメージをつかんでもらう好機」と歓迎し、藤井学芸員は「古墳時代前~後期の約350年間、特定の地域をどう治めたかという歴史的ストーリーを古墳どうしの関係から追えるのは全国的にも珍しい」と話しています。

中日新聞朝刊 2014年7月4日

 志段味古墳群の特集展示
国の文化審議会が名古屋市守山区の「志段味古墳群」を国史跡に答申すべきと下村文部科学相に答申したのを記念し、名古屋市博物館で古墳群の特集展示を開催(8月24日まで)。

NHK名古屋「ほっとイブニング」 2014年6月9日

 NHK BSプレミアム「英雄たちの選択」 2014年6月12日(6月20日再放送)
熱田区大周寺寄贈の「織田信長判物・織田信雄判物」が紹介されました。「信長判物」は、熱田神宮宛で信長が若い頃の数少ない発給文書です。これまでは写しが知られていましたが、今回、原文書の所在が明らかになりました。

中日新聞夕刊 2014年5月24日

 書の学芸員 奮闘中
2014年4月から名古屋市博物館に勤務する星子桃子学芸員が紹介されました。「早く戦力になって(書の)良さを伝える仕事をしたい」と意気込みを語っています。

中日新聞夕刊 2014年5月9日

 初編刊行200年 北斎漫画
『北斎漫画』は、北斎独自の葛飾風スタイルをまねしたい人の絵手本でした。本書の成立とその魅力について津田卓子学芸員が解説しました。

中日新聞朝刊 2014年4月15日

 アルメニアに江戸期の尾張紹介本
名古屋市博物館と東京文化財研究所の調査によって、西アジアのアルメニアに尾張地方の名所紹介本『名区小景』の一部が保存されていることがわかりました。
調査風景はこちら

NHK名古屋放送局 2014年4月4日・11日

 さらさらサラダ「名古屋市博物館に潜入」
タレントのジョン・ギャスライトさんが、名古屋市博物館の普段見ることができない舞台裏に潜入しました。

中日新聞朝刊 2014年3月11日

 「三河湾の幸を平城京へ 南知多に未知の役所」
当館が「文字のチカラ」展で展示した南知多町長谷遺跡出土の円面硯について、8世紀に日間賀島の海産物を平城京に送る役所が知多半島にあった可能性の傍証となることが紹介されました。

中日新聞夕刊 2013年11月24日

 「山本梅逸(ばいいつ)作 友情の肖像画 大須生まれ 江戸後期の人気画家」
当館において、静岡県内の個人からの情報提供を受け調査し、山本梅逸作の実在の人物の肖像画を確認。山水画や花鳥画を得意とした梅逸の作品としては、珍しいものであることが紹介されました。

中日新聞朝刊 2013年8月14日

 「関東大震災 上野店消失、東名間寸断… 松坂屋 不屈の奔走記 直後の手紙や電報236点発見」
発生から90年となる関東大震災で、被災した百貨店「松坂屋上野店」と名古屋本社との間で交わされた手紙や電報を本館で展示。松坂屋傘下のJ・フロントリテイリングの資料館で発見された資料を、本館が分析したもの。当時危機感を伝える貴重な資料であることが紹介されました。

中日新聞朝刊 2013年7月6日

 「「七歳の七夕」情報求む 名古屋市博物館、広がり探る」
尾張地方でかつて盛んだった、子どもが七歳になった年の七夕に特別の飾り付けで祝う風習がどこまで広まっていたかを、当館が調査。広く一般の皆様に情報提供を呼びかけていることが紹介されました。この記事をきっかけに多くの情報が寄せられました。

中日新聞 2013年4月16日

 「伊勢参り風俗 豊かに描く 現存最古の「参宮図屏風」
当館の調査で、江戸時代前期の伊勢参りの風俗を伝える現存最古の「伊勢参宮図屏風」を確認。一般公開することと屏風は修復が必要であることが紹介されました。この記事の後、当館では「よみがえれ、文化財」として文化財の修復への寄附を一般募集し、平成25年度1,000万円を超える寄附をいただきました。