過去の展覧会の紹介
《アキレスとキローン》
フレスコ
125.0×127.0cm
ナポリ国立考古学博物館蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
会期:平成22年(2010)6月24日(木)~8月29日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時(展示室への入室は午後4時30分まで)
休 館 日:6/28(月)、7/5(月)・12(月)・20(火)・26(月)・27(火)、8/2(月)・9(月)・16(月)・23(月)・24(火)
観覧料
一般 | 当日券1300円(団体券1100円) |
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高大生 | 当日券 900円(団体券 700円) |
小中生 | 当日券 500円(団体券 300円) |
※身体等に障がいのある方は手帳の提示により、本人と介護者2名まで当日料金の半額になります。
※名古屋市交通局発行の乗車券のうち「ユリカ」(他機関発行のトランパス対応カードを含む)「一日乗車券」「ドニチエコきっぷ」を利用してご来館の方は、当日料金より100円割引(他の割引との併用はできません)
※「ポンペイ展」観覧券で常設展もご覧いただけます
お問い合せ先 展覧会開催前: 名古屋市博物館 TEL.052(853)2655 FAX.052(853)3636 中京テレビ放送 TEL.052(971)2500 展覧会開催中: 「ポンペイ展」事務局TEL.052(841)2066
こちらのホームページもご覧ください http://www.ctv.co.jp/event/pompei
ポンペイ遺跡 フォルム(公共広場)
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ山の大噴火によって、厚い火山灰の下に埋没したポンペイ。しかし、このポンペイは突然の災厄により、古代ローマ帝国の人々の暮らしをほぼ完全な姿で閉じ込めたタイムカプセルとなったのです。18世紀以来、あきらかにされてきた街の様子は、大噴火に見舞われた悲劇の姿ではなく、優れた文化や芸術が花開き、豊かな自然の恵みを享受する人々の姿でした。
本展は、ナポリ国立考古学博物館の全面的な協力により、ポンペイからの出土品を中心に、日本初公開を含む壁画・彫刻などおよそ250点を紹介します。なかでも、ポンペイ郊外の別荘から出土した大理石の浴槽と追いだきのできる驚くべき給湯システム、イタリア国外では初公開となる約60点の銀食器セット、家々を美しく飾った壁画、祈りをささげた神々の彫像は見どころです。
また、日本のポンペイ調査チームが発掘した噴火犠牲者の型取りと遺品をあわせて展示し、その成果を紹介します。はるか二千年もの昔、日本列島が弥生時代であったころ。高度に発達した古代ローマ文明のすべてが凝縮された「奇跡の街」ポンペイが、ここに甦ります。
プロローグ
2002年におこなわれた古代学研究所(当時)による発掘調査で発見された噴火犠牲者の型取りとその遺品など、噴火時の状況を伝える資料をご紹介します。
現代人が、郷土の偉人の像を公園に置いたり、企業の創業者の像を会議室に置くように、古代ローマの人々も、偉人の像を公共の場所に置いたり、尊敬する家族の像を応接間に置いていました。こうした彫像は、美術作品というより、社会的な意味あいの強いものだったのです。
これは《伝ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスの肖像付ヘルマ柱》(部分)。ポンペイの金融業者の家から出土したもので、金融業者の祖父の容貌を写実的に表現したものと考えられています。裕福な商人が尊敬する祖父の像を、客を招き入れる場所に飾っていたものなのです。
伝ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスの肖像付ヘルマ柱
キリスト教を国教とする以前、ローマは多神教の国で、宗教には寛容でした。ローマの人々にとっては、ギリシア文化が精神的なよりどころで、神々もまたほとんどがギリシアに起源をもっていて、神像もギリシア彫刻を規範としてつくられています。
ウェヌスは、私たちがヴィーナスと英語読みしている愛と美の女神。ポンペイでは、このウェヌスとヘルクレス、ディオニュソスが3守護神とされていました。この《ウェヌス像》では、着衣の部分にほどこされた彩色が保存されていて、往時の華やかさを想い起こさせてくれます。
《ウェヌス像》
パロス島(ギリシア)産大理石、彩色の痕跡
高さ90.4cm (台座を含まない)、最大幅43.5cm、奥行27.0cm
ポンペイ、I, 2, 17、中庭に面した壁がん
前1世紀
ナポリ国立考古学博物館蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
古代ローマの娯楽には、戦車競争のような祭日だけにおこなわれた大規模なものから、演劇やスポーツ、数字やことばの記されたチップを使う日常的なゲームまで、さまざまなものがありました。なかでも、人気を博していたのが円形闘技場でおこなわれた剣闘士の試合でした。
この《剣闘士の小像》は、素焼で作られたものです。当時、年の初めの縁起物として、こうした像を贈る習わしが普及していました。
《剣闘士の小像》
テラコッタ
高さ19.0cm
ローマ
後2世紀
ナポリ国立考古学博物館蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
紀元前後のローマの詩集には、おしゃれに打ち込む貴婦人たちの姿がリアルな表現で描かれています。ローマの詩人オウィディウス(前43~後17)は、髪型について「蜜蜂の数と同じように多い髪型をすべて言い尽くすことなどできない」と書き残しています。出土したアクセサリーやガラスの化粧水入れ、化粧道具など、現代に生きる女性たちが使っていてもまったく違和感のないものばかりです。
この金製の《首飾り》は、一本に伸ばすと2m50cmほどの長さがあり、首の回りに幾重にも巻くタイプのものです。写真右上の留め具は車輪形をしていますが、当時、車輪は愛の象徴と考えられていました。
《首飾り》
金
長さ252.0cm、重さ369.30g
ヴェスヴィオ山周辺
前1世紀-後1世紀
ナポリ国立考古学博物館蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
ポンペイからの出土品のなかで、もっとも人々を驚かせ、目を引かせたものは膨大な数の壁画でしょう。その数や質だけでもきわめて重要な美術史的価値をもつものです。それに加えて、街や家のなかの本来あるべき場所から発見されたことは、美術史的な価値だけでなく、社会史的・思想史的な情報をも現代の私たちに伝えてくれるものでした。
《三脚を飾るクピドたち》は、発見されたときに「壁から絵を取り出し、木の枠にはめ込んだ」状態でした。
《三脚を飾るクピドたち》
フレスコ
88.5×80.0cm (木枠を含まない)
エルコラーノ、Ⅴ, 17、商店の2階 (1937年12月22日出土)
後1世紀後半
エルコラーノ遺跡考古遺物収蔵庫蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
現在の日本では、神棚のある家は少なくなっているのではないでしょうか。ポンペイの家には、どんな貧しい家であっても、ララリウムと呼ばれる祠あるいは祭壇が設けられていました。そこには、家の守り神であるラルや家父長の守り神であるゲニウスが祀られ、住人が日々祈り、お供えものをする習慣がありました。ララリウムに祀られたのはラルやゲニウスだけでなく、ローマ神話の主人公たちやエジプト起源の豊饒の神イシスなども祀られました。ララリウムはよろずの神々を祀る祭壇であり、そこには人々の現世的な願いが込められていたのです。
《メルクリウス小像》。これはローマ神話で商売、ひいては金もうけの神様とされたメルクリウス(ギリシア神話のヘルメス)です。左肩にマントを掛け、右手にはメルクリウスを示す持物である財布を持っています。
《メルクリウス小像》
青銅
高さ14.0cm、台座:径5.9cm
ポンペイ
後1世紀後半
ナポリ国立考古学博物館蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
華やかな壁画、ギリシア風の彫刻や建築。そこでポンペイの人々はどのようにくらしていたのでしょうか。豊かな人々の家には、中庭があり、その周囲に食堂・応接間・寝室などが配置され、庭をながめながら時を過ごしたことでしょう。各部屋にはさまざまな家具調度が置かれていました。食堂には宴会用の食事用ベッド、応接間にはテーブル・椅子などがありました。一部の大金持ちの家には水道が引かれ、個人用の風呂までもが備えられていました。
《ボスコアーレ、ピサネッラ荘の高温浴室》(部分)は、ポンペイ近郊ボスコアーレの別荘から出土していた浴室の一部を再現したものです。大理石貼りのバスタブ、雨水あるいは井戸水を入れるタンク、湯を沸かすボイラーとその湯をためるタンクがあります。ごく一部の人々しか所有できない、きわめて贅沢なものではありましたが、給湯・追いだきのできる現代のものと比べても遜色のない風呂のシステムです。
《ボスコレアーレ、ピサネッラ荘の高温浴室》(部分)
オリジナル部分:大理石製浴槽、鉛製水槽、鉛製給湯槽、鉛製管、青銅製筒状釜、青銅製蛇口
後1世紀後半
円筒形給湯槽:高さ192.0cm、径58.0cm
浴槽:幅64.0cm、奥行180.0cm、深さ68.0cm
ナポリ国立考古学博物館蔵
NAKAMURA Yutaka
ポンペイ市民にとって、労働とは「家の中でおこなう仕事」でした。すなわち商業、手工業そして家事などがそれにあたります。なかでも調理を含む家事は最大級の労働だったといってよいでしょう。魚の塩漬けからつくられるガルム(魚醤)はポンペイの名産物として有名で、地中海一帯に輸出されていました。また、描かれた食材のさまざまな海の幸・山の幸や、かいがいしく働くクピドの壁画などから、当時の食生活や農業のようすがわかります。
これは《ヤマネ飼育壺》です。ヤマネは齧歯(げっし)目ヤマネ科のリスに似た哺乳類です。ローマ料理では珍味として喜ばれ、このような餌箱を置く棚の付いた壺で飼育されました。
《ヤマネ飼育壺》
粗製土器
高さ42.5cm、径44.0cm
ヴェスヴィオ山周辺
後1世紀
ナポリ国立考古学博物館蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
「金持ちは食べるために吐き、吐くために食べる」とまで表現された「饗宴」は、富裕層にとって自らの財力を誇示する場でした。料理を置くテーブルを中心にして、その回りをカタカナの「コ」の字形に配置されたベッドに寝そべって飲食をしました。そうした饗宴の場には、当時の最高級の工芸品といってよい食器が集められました。
「イクナスとイオの家」から出土した銀食器は、多くの種類の器が4客1セットで発見されたものです。器の表面には、バラやツタなどの草花、鳥や動物などが華麗に表現されています。それらの装飾は、その場を盛り上げるために一役買ったことでしょう。
「イナクスとイオの家」出土の銀食器群より
銀
ポンペイ、Ⅵ, 7, 19、「イナクスとイオの家」
前1世紀-後1世紀
ナポリ国立考古学博物館蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Arte
ポンペイの住宅は、中庭が設けられ、周囲に部屋が配置されるかたちが一般的でした。中庭と部屋の間には、列柱のある回廊がつくられ、家族の憩いの場、あるいは来客をもてなす場となっていました。中庭には大理石製の彫像や水盤、噴水が置かれ、木々や草花が植えられました。周囲の部屋には庭園を描いた壁画があり、部屋にいながらにして庭のまん中にいるような感覚を得ることができました。
この《噴水彫刻:童子とイルカ》は、イルカの口の部分から水が噴き出す仕掛けになっている彫刻です。子どもの視線は、噴き出した水の落ちるあたりに向かっています。髪には金色で彩色された痕跡が残っています。
《噴水彫刻:童子とイルカ》
白色大理石、彩色の痕跡
高さ42.0cm、幅37.0cm
ポンペイ、Ⅶ, 12、3、「ルキウス・カエキリウス・カペラの家」
前1世紀
ナポリ国立考古学博物館蔵
© Luciano Pedicini / Archivio dell'Artea
■「ポンペイ展」開幕プレゼント
6月24日(木)~27日(日)の4日間、各日先着100名様に「ポンペイ展」オリジナルグッズを差し上げます。
■記念講演会 会場:名古屋市博物館講堂(定員220 名・先着順・聴講無料)
・7月10 日(土)14:00~15:30(開場13:30)
「ポンペイの産業と交易」
講師 浅香 正(同志社大学名誉教授、本展総合監修者)
・7月17 日(土)14:00~15:30(開場13:30)
「ローマ史からみたポンペイ遺跡」
講師 坂井 聰(同志社大学講師、本展監修者)
■展示説明会 会場:名古屋市博物館講堂(定員220 名・先着順・聴講無料)
・7月31日(土)14:00~15:30(開場13:30)
講師 当館学芸員
【主 催】名古屋市博物館、中京テレビ、読売新聞社、ナポリ・ポンペイ考古学監督局
【後 援】イタリア大使館、イタリア文化会館、愛知県・岐阜県・三重県各教育委員会
【協 力】日本航空、日本貨物航空、日本通運、日本興亜損保、名古屋市交通局
【広報協力】FM AICHI
【企画協力】アール・プランニング