過去の展覧会の紹介

この展覧会はすでに終了しています。会期は前年度以前の日付です。

nayoga 1610 - 2010

開府400年記念特別展 名古屋400年のあゆみ

会期:平成22年(2010)1月9日(土)~3月7日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
休 館 日:1/12(火)・18(月)・25(月)・26(火),2/1(月)・8(月)・15(月)・22(月)・23(火),3/1(月)
観 覧 料:一 般 900(700)円  高大生 600(400)円 中学生以下無料

( )内は団体・前売料金、団体は20名様以上です

観覧料

一般 900円 (700円)
高大生 600円 (400円)
中学生以下 無料 (無料)

※ 名古屋市交通局発行のユリカ・一日乗車券・ドニチエコきっぷでご来場の方は、当日料金から100円割引(他の割引との併用はできません
※ 身体等に障がいのある方は、手帳の提示により本人と介護者2名まで、当日料金の半額となります。
※ 展示品保護のため、会期中に展示替をおこないます。
   内容は▼展示替リスト(PDF)をご覧下さい。

展覧会の構成 40のテーマ

名古屋の町づくりは、慶長15年(1610)、名古屋城の築城とともに始まりました。平成22年(2010)は、城下町名古屋が誕生して400年、名古屋開府400年にあたる年です。江戸時代には、尾張徳川家のもと、安定した発展を遂げ、明治以降も日本経済の牽引車的な役割を果たしてきた名古屋ですが、400年の歴史をひもといてみると、実にさまざまなできごとに出会います。  今回の展覧会では、40のトピックスをとりあげて「名古屋400年のあゆみ」をたどることとしました。なじみの深い寺院や学校・建造物の由来、この町をおそった地震や台風などの自然災害とそこからの復興、芝居や見せ物など庶民生活の盛り上がり、名古屋ゆかりの著名人たちとその業績など、盛りだくさんの内容をご紹介します。ここで40のテーマといくつかのテーマについて解説の紹介をします。

1 慶長15年(1610)名古屋城の築城が開始される

徳川義直の居城が清須から名古屋に移ることになり、名古屋城の築城が始まった。築城とともに清須から50の町が町人ごと名古屋に移ってきた。

相応院画像(正法寺蔵)展示期間:1月9日~2月21日

〔テーマ1〕相応院画像(正法寺蔵)展示期間:1月9日~2月21日

2 慶長15年(1610)堀川開削工事が始まる

3 元和2年(1616)七里の渡しが開かれる

江戸時代に整備された東海道は、この熱田(宮)と桑名宿を海路で結んでいた。宮宿は東海道最大の宿場町として栄えた。

4 慶安2年(1649)藩営の熱田新田が完成

5 慶安4年(1651)光友、建中寺を創建する

6 万治3年(1660)名古屋大火災、2千軒を焼失する

7 貞享元年(1684)松尾芭蕉、名古屋を訪問する

8 元禄元年(1688)光友、八事興正寺の建立を許可する

9 元禄3年(1690)東本願寺掛所が創建される

10 享保13年(1728)町続きの村々、城下に編入される

11 享保15年(1730)徳川宗春、藩主となる

徳川宗春は、施政方針として自由放任政策を掲げたが、将軍吉宗の倹約令に反していたため、元文4年(1739)失脚した。

12 元文元年(1736)伊藤次郎左衞門、呉服太物小売商になる

伊藤次郎左衞門店のれん(個人蔵)

〔テーマ12〕伊藤次郎左衞門店のれん(個人蔵)

13 天明3年(1783)藩校の明倫堂がおかれる

14 文化10年(1813)庄内川の大洪水がおこる

15 文化14年(1817)北斎が大ダルマを描く

浮世絵師葛飾北斎は西掛所(西本願寺別院)において、120畳敷の紙に大ダルマを描くというパフォーマンスを行った。

16 文政9年(1826)大須観音でラクダが見せ物になる

文政4年、オランダ船でラクダが渡来し、名古屋でも大須観音で見せ物になった。ほかにヒョウやアザラシも見せ物になって、見せ物ブームが花開いた。

17 文政12年(1829)伊藤圭介が「泰西本草名疏」(たいせい ほんぞう めいそ)を刊行

伊藤圭介画像(名古屋市東山植物園蔵)

〔テーマ17〕伊藤圭介画像(名古屋市東山植物園蔵)

18 天保8年(1837)天保の大飢饉がおこる

19 天保12年(1841)村絵図の提出が命じられる

20 元治元年(1864)徳川慶勝、長州征討の総督となる

21 慶応4年(1868)青松葉事件がおこる

22 慶応4年(1868)尾張藩が戊辰戦争に参加する

23 明治5年(1872)東京の博覧会に金鯱を出品

明治になり、名古屋城の金鯱は天守閣から降ろされた。明治5年、東京湯島の聖堂で行われた博覧会ではこの金鯱が出品され、話題をよんだ。

24 明治19年(1886)名古屋駅が完成する

25 明治22年(1889)名古屋市制を施行する

26 明治24年(1891)濃尾地震がおこる

 

10月28日、岐阜県大野郡根尾村を震源とした地震は、尾張・美濃地方に大きな被害をもたらした。マグニチュードは推定8以上である。

27 明治31年(1898)市内電車が初めて走る

28 明治40年(1907)名古屋港が開港する

29 明治41年(1908)第八高等学校が設置される

30 明治43年(1910)第10回関西府県連合共進会、開催

31 大正7年(1918)米騒動がおこる

32 大正13年(1924)第1回選抜中等学校野球大会、開催

現在の選抜高等学校野球大会の前身である選抜中等学校野球大会は名古屋市八事の山本球場で第1回大会が開かれた。

全国選抜中等学校野球大会優勝旗(財団法人日本高等学校野球連盟蔵)

〔テーマ32〕全国選抜中等学校野球大会優勝旗(財団法人日本高等学校野球連盟蔵)

33 昭和4年(1929)このころ、カフェー大流行する

34 昭和12年(1937)名古屋汎太平洋平和博覧会が開催される

南区熱田新田(現在の港区港楽付近)で名古屋汎太平洋平和博覧会が開催された。480万人の入場者があり、戦前の日本で最大の博覧会であった。

名古屋汎太平洋平和博覧会ポスター(名古屋市市政資料館蔵)

〔テーマ35〕名古屋汎太平洋平和博覧会ポスター(名古屋市市政資料館蔵)

35 昭和12年(1937)東山動物園が開園する

36 昭和19年(1944)B29が三菱重工業を爆撃する

37 昭和34年(1959)伊勢湾台風が名古屋地方を襲う

38 昭和47年(1972)横井庄一氏グァム島で発見される

横井庄一氏が所属したグァム島守備隊は玉砕し、彼も戦死したと思われていたが、昭和47年同島内で発見された。

39 昭和52年(1977)名古屋市博物館が開館する。

40 平成4年(1992)伊藤みどり選手がアルベールビルオリンピックで銀メダルを獲得

関連事業

(1) 講演会 事前申込制
  平成22年2月21日(日) 「名古屋文化、名古屋の底力」講師:清水義範さん
  聴講無料 講堂にて(入口は1階です) 13時30分開場 14時開演 定員220名
  聴講希望の方は下記のA・Bいずれかによる事前申込みが必要です。
  ※A:往復葉書に郵便番号・住所・氏名・電話番号を記入し、下記へ申し込み
    〒467-0806 名古屋市瑞穂区瑞穂通1―27―1
          名古屋市博物館「名古屋400年講演会」係 宛
    1葉で2名まで可(2名の名前を列記)
  ※B:名古屋市電子申請サービスから申し込み
    https://www.e-shinsei.city.nagoya.jp/
  締切1月20日(要必着)。応募多数の場合は抽選。

(2) 講談・落語・子ども教室など 当日先着順
  聴講無料 講堂にて(入口は1階です) 13時30分開場 14時開演 定員220名
  ・1月10日(日)  講談「おどろき モモの木 名古屋駅」(出演:水谷風鱗)さん
  ・1月16日(土)  たのしく学ぶ子ども教室「クイズでたどる なごや400年」
  ・1月17日(日)  城下町名古屋落語  出演:雷門獅篭さん
  ・1月23日(土)  たのしく学ぶ子ども教室「クイズでたどる なごや400年」
  ・1月24日(日)  展示説明会「名古屋400年のあゆみ」
  ・2月 6日(土)  講談「名古屋三英傑物語」 古池真由美(鱗林)さん
  ・2月13日(土)  城下町名古屋落語 雷門獅篭さん

(3) 平成22年1月8日(金)~24日(日) 子どもたちが描く未来のなごや展
  3階ギャラリーで開催。瑞穂区の子どもたちが腕をふるいます。入場無料

(以下は2009年10月1日号「名古屋市博物館だより」190号掲載の展示準備ノートです)

名古屋最古の村絵図?みつかる!

さて、Sさんの連絡をうけた数日後、私は雨の中を闇之森八幡社に向かった。ここは、7代藩主徳川宗春治世の享保18年心中事件があり、浄瑠璃(じょうるり)や小説の題材になるほど評判になった所である。宮司さんや氏子役員さんたちにあいさつをしてから絵図を拝見した。
 第一印象は「大きい」である。こんな大きな村絵図は見たことがない。文字や描き方から、村が作成したものではなく、尾張藩の役人が作成したものと思われた。古渡村の庄屋3名の署名があるが、筆跡は同じである。さらに想像すると、藩が2部作成し、正本1部は庄屋に捺印させて藩に納め、副本1部は地元に残したと考えることもできる。その場合、本図は副本そのもの、あるいはその写しということになる。

さて、Sさんの連絡をうけた数日後、私は雨の中を闇之森八幡社に向かった。ここは、7代藩主徳川宗春治世の享保18年心中事件があり、浄瑠璃(じょうるり)や小説の題材になるほど評判になった所である。宮司さんや氏子役員さんたちにあいさつをしてから絵図を拝見した。
 第一印象は「大きい」である。こんな大きな村絵図は見たことがない。文字や描き方から、村が作成したものではなく、尾張藩の役人が作成したものと思われた。古渡村の庄屋3名の署名があるが、筆跡は同じである。さらに想像すると、藩が2部作成し、正本1部は庄屋に捺印させて藩に納め、副本1部は地元に残したと考えることもできる。その場合、本図は副本そのもの、あるいはその写しということになる。

>古渡村絵図(絵図の向き:左側が北、右側が南、上が東、下が西)

古渡村絵図(絵図の向き:左側が北、右側が南、上が東、下が西)

絵図は、中央を美濃路が南北(注:写真では左右方向)に貫き、大木戸・高札場や一里塚が描かれている。また南方で佐屋街道が分かれている。北部には、寛文4年(1664)2代藩主光友によって開かれた橘町をはじめ、元禄3年(1680)創建された東本願寺掛所(図では「掛所」)や、この絵図の所有者である闇之森八幡社(絵図では「くらかりの森」)も描かれている。また、美濃路と平行して西方に堀川が流れ、竹腰家など尾張藩重臣の下屋敷や、藩の材木場なども見える。

以上に加え絵図のもう一つの特徴は、通常の村絵図と違い、屋敷地が詳細であるという点である。美濃路沿いの屋敷地は、1軒ずつ表(間口)と裏(奥行)の長さ、および所有者名が記され、美濃路に面していない屋敷地も面積と所有者名が記されている。これがこの絵図が描かれた目的であると思われる。実はこの古渡村絵図は、東西の田地の部分がほとんどカットされ、中央の屋敷地の部分のみが描かれており、ここからも絵図の目的が屋敷地にあることがわかる。

絵図が描かれた享保10年の3年後の享保13年、古渡村をはじめ東枇杷島村・広井村・日置村・前津小林村など名古屋城下に隣接する村々の管轄が、国奉行から町奉行に変更になっている。このころ名古屋城下町は碁盤割には収まりきらず、隣接する村々に大きく広がっていた。そのため、隣接する村々の土地は従来通り国奉行の管轄であるが、住民については、名古屋城下の住民と同じように町奉行が扱うことになったのである。この絵図は作成時期からみて、おそらく管轄替の準備として作成されたのではないか、と推測されるのである。

この絵図は天保12年の古渡村絵図とともに、平成22年1月9日から3月7日に開かれる「名古屋400年のあゆみ(仮称)」展でお披露目する予定である。(Y.T.)