過去の展覧会の紹介

この展覧会はすでに終了しています。会期は前年度以前の日付です。

特別展 開山無相大師650年遠諱記念 妙心寺 禅の心と美

会期:平成21年(2009)10月10日(土)~11月23日(月・祝)
開館時間:午前9時30分~午後5時00分(入場は午後4時30分まで)
休館日:10/13(火)・19(月)・26(月)・27(火), 11/2(月)・9(月)・16(月)

観覧料

一般 1200円 (1000円)
高大生 800円 (600円)
小中生 400円 (200円)

※()内は前売りおよび、20名以上の団体。
※名古屋市交通局発行のユリカ・一日乗車券・ドニチエコきっぷでご来場の方は当日料金から100円割引(他の割引との併用はできません)
※身体等に障がいのある方は、手帳の提示により本人と介護者2名まで、当日料金の半額となります。
※会期中に展示替を行います。詳しくは ▼展示替リストをご覧下さい。
 展示総点数168件211点(うち国宝4件、重要文化財47件)

展覧会の構成と主な展示品

臨済宗妙心寺派大本山妙心寺は建武4年(1337)に、花園法皇(はなぞのほうおう:1297~1348)が自らの離宮を改めて禅寺としたことに始まる京都の名刹(めいさつ)です。禅宗を深く信仰していた法皇が、開山(かいさん)に迎えた関山慧玄(かんざんえげん:1277~1360、謚号(しごう)・無相大師(むそうだいし))は、美濃伊深の山里(のちの美濃加茂市正眼寺(しょうげんじ))で修業していた僧でした。

このたびの展覧会では、妙心寺の歴史を語る名宝の数々と、中部地方に所在する妙心寺派寺院が所蔵する貴重な文化財を紹介いたします。  本展は禅宗が育んだ奥深い文化に触れる絶好の機会です。展覧会会場で禅の世界を体で感じてください。心が穏やかに、静かに、そして真っ白になるかもしれません・・・。

Ⅰ.妙心寺の開創

花園天皇は仏教に深く帰依し、特に禅宗に強い関心を寄せて、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)に師事しました。39歳で出家してからは禅宗信仰に没頭し、宗峰妙超が没した建武4年には、宗峰の弟子の関山慧玄を迎えて妙心寺を創建しました。
 関山慧玄は幼くして出家し、鎌倉の建長寺で南浦紹明(なんぼじょうみょう:大応国師)に師事し、ついで京都の大徳寺で宗峰妙超(大燈国師)について修業しました。この大応国師から大燈国師、関山慧玄へと受け継がれた法の流れを、「応燈関」の門流と称し、妙心寺では重要視しています。

Ⅱ.妙心寺派の高僧と文化

関山慧玄以後、妙心寺には次々と高僧が輩出しました。室町時代の中頃には支柱となる四つの分派が作られ、それぞれが多くの弟子を育てて、妙心寺は教団として拡大してゆきます。弟子たちは各地に寺院をひらき、妙心寺派の勢力は拡大の一途をたどりました。
 これらの寺院には禅宗独特の仏像が安置されました。中国からもたらされた仏画を所蔵する寺院もありました。室町水墨画の最高峰とされる「瓢鮎図(ひょうねんず)」も、禅の問答の中で生まれた作品です。  江戸時代には白隠慧鶴(はくいんえかく:1685~1768)があらわれ、禅の教えをわかりやすく説明するために、数多くの禅画を描きました。

Ⅲ.戦国武将と妙心寺派寺院

妙心寺派の寺院は戦国武将の支持を得て大いに発展しました。関山慧玄がおこない、代々の弟子たちが実践した、厳しい修行の姿が武将たちをひきつけたのでしょう。  織田信長(1534~82)が沢彦宗恩(たくげんそうおん:?~1587)に、今川義元(1519~60)が太原崇孚(たいげんそうふ:1496~1555)に、徳川家康が(1542~1616)が鉄山宗鈍(てつさんそうどん)に帰依したことはよく知られています。
 武将たちは禅僧を精神的なよりどころとして慕い、また幅広い知識人としての技量に期待したのでした。

Ⅳ.ゆかりの名宝

妙心寺は応仁の乱で炎上したのちに、細川勝元・政元父子によって復興しました。その後、戦国大名たちによって、塔頭(たっちゅう)が次々に創建されました。これらの室内を飾る襖絵や屏風は、当時の一流の画家によって描かれました。狩野元信が四季の花鳥を描いた襖絵や、龍と虎を大胆に配した狩野山楽筆の屏風など、見応え十分です。  中部地方の妙心寺派寺院が所蔵する、当地にゆかりの画家による襖絵や天井絵なども見事で、その迫力に圧倒されてしまいます。

花卉図屏風

重要文化財 花卉図屏風 海北友松(かいほうゆうしょう)筆
安土桃山~江戸時代 妙心寺蔵(写真は右隻)
展示期間:11月3日~11月23日展示

見どころ紹介

花園法皇像

花園天皇は12歳で即位し、22歳で後醍醐天皇に譲位しました。天皇家が南朝と北朝に分かれる動乱期に立ち会った天皇でした。学問を好み、宮中の儀式や社会情勢にも精通していました。この画像からも聡明な人柄が窺えます。

重要文化財 花園法皇像 南北朝時代 妙心寺蔵
展示期間:10月10日~10月29日

重要文化財 花園法皇像 南北朝時代 妙心寺蔵
展示期間:10月10日~10月29日

瓢鮎図

すべすべした瓢箪でぬるぬるしたナマズを、広い泥水の中で押さえつけようとしている男が描かれている作品です。この絵は室町幕府の4代将軍、足利義持が画僧の如拙に描かせました。上半分には、瓢箪でナマズを押さえつけることが可能か否かを、31人の禅僧が漢詩で答えたものが書かれています。  なお、漢字の「鮎」は現在はアユの意で用いていますが、もとはナマズを表す文字です。

国宝 瓢鮎図(部分) 如拙筆 室町時代 京都・退蔵院蔵
展示期間:10月10日~11月1日

国宝 瓢鮎図(部分) 如拙筆 室町時代 京都・退蔵院蔵
展示期間:10月10日~11月1日

釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)

この釈迦如来像は、頭部に高い髻(もとどり)を結って宝冠をかぶっています。現在はありませんが、身体にも様々な装身具を付けていたとおもわれます。通常如来は装身具を身につけません。この像のように、一見菩薩像と見がまうような姿に作られる如来像は、禅宗寺院に独特のものです。

国宝 瓢鮎図(部分) 如拙筆 室町時代 京都・退蔵院蔵
展示期間:10月10日~11月1日

重要文化財 釈迦如来坐像 鎌倉時代~南北朝時代 愛知・国分寺蔵 全期間展示

関山慧玄について

関山は信濃に生まれ、幼くして出家し、長らく鎌倉の建長寺で修業しました。51歳のときに京都の大徳寺に入門を許された後も一介の雲水として日々托鉢をし、辛酸苦修、骨身を惜しまず修業を続けました。そして後醍醐天皇に法を説くまでの重要な地位についたのですが、いつとはなく、美濃の山里に入ってしまいます。村では里人の相談相手となり、日々労働奉仕をし、夜は黙々と坐禅をおこないました。

山里に入ってから8年の後、花園法皇に迎えられて妙心寺を開創しましたが、年とともに住まいが雨漏りするようになっても、修繕しようともせず、常に粗末な衣を着ていました。弟子の指導も厳格で、いたらない弟子をたたき出すこともたびたびでした。  関山慧玄は、明治天皇から、「無相大師」と謚(おくりな)されました。一巻の著述も、説法の言葉も残さず、修業に励み、弟子に伝えた生涯でした。 (『むもん法話集』より要約)

関連事業

*各事業とも午後2時から博物館地下1階講堂にて開催します(1時30分開場)  聴講は無料ですが、講演会は事前申込制です。  (定員220名、応募者多数の場合は抽選となります)

(1)講演会「涅槃妙心」

  

日時:平成21年11月4日(水)
  講師:玄侑宗久(芥川賞作家・福聚寺住職)
  申込方法 下記のA・Bいずれかの方法によります。
  A:往復葉書に郵便番号・住所・氏名・電話番号を記入して下記まで郵送。
    応募は葉書1枚につき1名様です。
    〒467-0806
     名古屋市瑞穂区瑞穂通1-27-1
     名古屋市博物館 妙心寺展講演会係 宛
  B:名古屋市電子申請サービスから申込み
    http://www.e-shinsei.city.nagoya.jp
  応募締切は平成21年10月15日(消印有効)です。

(2)妙心寺展講座 各日とも先着順220名様 聴講無料

  博物館地下1階講堂にて 午後2時開演(1時30分開場)

・第1回:平成21年10月11日(日) 午後2時~
   演題「生々流転 波瀾の妙心寺」
   講師:竹貫元勝(花園大学教授)

・第2回:平成21年10月17日(土) 午後2時~
   演題「ヒョウタンでナマズをとらえる 国宝・瓢鮎図の心」
   講師:野場喜子(名古屋市博物館学芸員)

・第3回:平成21年10月18日(日) 午後2時~
   演題「戦国武将と妙心寺派」
   講師:横山住雄(郷土史家)

・第4回:平成21年10月22日(木) 午後2時~
   演題「白隠禅師と墨蹟」
   講師:芳澤勝弘(花園大学教授)

・第5回:平成21年11月1日(日)  午後2時~
   演題「妙心寺の文化財」
   講師:福島恒徳(花園大学教授)

・第6回:平成21年11月13日(金) 午後2時~
   演題「禅のこころ」
   講師:山川宗玄(正眼短期大学学長)

・第7回:平成21年11月14日(土) 午後2時~
   演題「妙心寺展の見どころ 仏教美術の中の妙心寺」
   講師:小嶋 泉(名古屋市博物館学芸員)

(以下は2009年8月1日号「名古屋市博物館だより」189号掲載の展示準備ノートです)

禅僧の肖像 妙心寺派の頂相

日峰宗舜像 瑞泉寺蔵

日峰宗舜像 瑞泉寺蔵

 仕事柄ここ数年、天台宗、西国霊場、浄土真宗、そして臨済宗妙心寺派と毎週のようにいろいろな宗派の寺院を訪れます。皆さんはお寺の建物はどれも同じように思っておられるかもしれませんが、実は本堂だけでも各宗派によって結構違うもの。たとえば方角。普通は南向きに建てられますが、浄土真宗の本堂は東向きに建てられます。西方極楽浄土にいる阿弥陀如来を拝むためです。

 構造的特徴の例としては禅宗系統の本堂の場合、本尊が建物の中心かやや手前に祀られ、その背後にもう一部屋設けられています。入ると、僧侶がいすに座った像が安置されています。「開山」つまりそのお寺を開いた方、あるいはその師匠で名誉職的にお寺の初代にあてられる方の像です。参詣者は、本尊の釈迦如来や観音菩薩を拝んでいるつもりが、実際はそれを透かして開山像と二重に拝むことになります。

 禅宗、特に臨済宗の目標は「見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」=自らが釈迦と同じ仏である事を自覚することです。これは「直指人心(じきしじんしん)」=仏である師匠が弟子の心に直接的に働きかけて指導することにより成就するとされます。本尊と開山像との位置関係は、仏とその教えを体現する禅僧との一体性、そして釈迦-開山-修行僧への連続性を表現しています。他宗の場合、開山や宗門の祖師の像は本尊の脇か別棟に祀られるのが一般的で、位置づけの違いが見て取れます。

 禅宗寺院には開山の肖像彫刻だけではなく、禅僧の肖像画が多く伝わっている場合があります。師弟の直接伝授によってたつ禅宗では、一人前になったと認められた弟子は師の肖像画を用意し、師から偈文(げぶん)という訓辞を書き入れてもらいます。これはある意味卒業証書ですが、そのような軽いものではなく、師匠そのものであり、仏像以上に大切な己の心のよりどころとして護持供養しつづけるのです。これら禅僧の肖像を「頂相(ちんそう・ちんぞう)」といいます。如来の知恵を象徴する頭頂部を指す言葉から転じたものです。

 この秋開催される妙心寺展においても多くの頂相が展示されます。臨済宗妙心寺派の頂相を並べてみると、別人の像でもかなりの部分が共通していることが分かります。唐草文様の堆朱(ついしゅ)細工の丸っこい椅子、背もたれに華やかな柄の法被(はっぴ)が掛かっています。手前には同じ細工の足置きがあり、くつが脱ぎ捨てられています。禅僧は斜め前を向いて姿勢良く腰掛け、坐禅を組んでいるようですが、ゆったりとした裾と袖でかくされて体型はよく分かりません。手は行儀良くそろえて竹箆(しっぺい)という棒か、筆のような払子(ほっす)を持ちます。はっきりいってほとんどが同じポーズです。釣鐘状の衣のシルエットに隠されて体型の差も目立ちません。

 同じ臨済宗でも他派の頂相には立ったり、片足をおろしたり、禅僧各人の個性を示す自由なポーズで描かれる場合がありますが、妙心寺派ではほとんどが同じ構図です。没個性なのではなく、教えをゆがめずに伝えるというスタンスを示しているのです。師の個性は、絵の上に記された直筆の偈文にこそ表れるのでしょう。

 禅宗は日本においては大きく臨済宗と曹洞宗に分かれ、臨済宗はさらに黄檗宗(おうばくしゅう)と南禅寺派、建仁寺派など14の大本山に分かれています。京都市右京区にある妙心寺を中心とする妙心寺派は特に大きい一派ですが、成立は比較的新しく南北朝時代の建武4年(1337)とされます。妙心寺開山、無相大師関山慧玄(むそうだいしかんざんえげん)(1277~1360)は美濃で長く修行しており、この東海地方と縁の深い宗派といえます。

 さて、関山の頂相としては、妙心寺開山堂に祀られる彫像と妙心寺9世(関山門流6世)の雪江宗深(せっこうそうしん)が賛文を記した画像とが原本とされますが、この2つは全く容貌が異なります。なぜでしょう。

 実は関山の生前の姿を写した頂相は存在しません。関山は自分の行跡を形にして後世に残すことを嫌い、語録や頂相を作らせませんでした。その門流が歴代祖師の画像を掲げるときには、関山は「一円相」つまり「○」一字で表されていたようです。

 妙心寺は足利義満の弾圧をうけ、いったん寺格を奪われます。のち瑞泉寺(犬山市)の日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)らによって再興されたのですが、ちらばった門派を結集させる求心力が必要でした。存在しないはずの開山無相大師の頂相は求心力の象徴として、このころ新たに創出されたものなのです。彫像、画像ともその容貌決定にはいわれがありますが、象徴としてどのような姿がふさわしいかそれぞれの試行錯誤がうかがわれます。

 会場に居並ぶ頂相、描かれた禅匠(ぜんしょう)たちは、黙しつつも、禅の思想と歴史を雄弁に語っているのです。(N.Y.)