展示

常設展フリールーム

中近世の埋納品と石造物

令和3年8月24日(水曜)から10月25日(日曜)

 中近世の遺跡で仏教に関わる遺物が出土する場合、自然に埋まってしまったのではなく、当時の人が意図的に土中に納めたものがあります。その地上には塚や石碑を設けたり、墓の場合は墓石を立てたりする場合がありました。
 意図的に埋められたものを埋納品、石碑や墓石などを総称して石造物といいます。時代とともに、埋納品や石造物の形や性格は変わっていきました。今回の展示では、埋納された経筒や蔵骨器、地上に立てられた板碑(いたび)や石仏などに注目して、その変化の様相を紹介します。

経塚の埋納品

 経塚(きょうづか)は、平安時代に流行した末法思想(まっぽうしそう)のもと、のちに弥勒菩薩(みろくぼさつ)が救済に現れるまで、地中に仏典を保存しようとする弥勒信仰に始まったとされます。紙の経典を経筒(きょうづつ)に入れて埋納するものと、不朽の材質として粘土板に写経して焼きしめた瓦経(がきょう)を埋納するものがありました。
 中世になると、極楽往生や現世利益などの願いがいっそう重視されるようになり、全国の霊場を廻る六十六部聖(ろくじゅうろくぶひじり)によって規格的な経筒が奉納されました。江戸時代には川原石に写経した礫石経の埋納が主流となり、さまざまな願いが込められました。こうした各時代の経塚の特徴から、人々の祈りや願いの様子がうかがえます。

やきものの容器の中に経筒を納めた様子

経筒・経筒外容器 出土地不詳 館蔵

お経を墨で書いた川原石9点

礫石経(多字一石経) 瑞穂区高田古墳出土 館蔵

墓地の埋納品と石造物

 中世以降の墓地では火葬墓と土葬墓が混在し、火葬の場合は火葬骨を入れた蔵骨器(骨壺、骨蔵器とも)を納めました。蔵骨器は古瀬戸(こせと)、常滑窯(とこなめよう)、渥美窯(あつみよう)などでつくられた壺や甕で、日常容器として使われたものが転用されることもありました。また、地上には墓石などの墓標を立て、経塚や六地蔵などを設けるなど、墓地は供養の場として整っていきました。

信仰・供養の石造物

 石造物の全国的な隆盛は中世に始まりました。石仏は奈良時代から存在し、平安時代後期に各地に広がり始めました。鎌倉時代には、高僧や貴族階層から墓石や追善供養の塔としては五輪塔(ごりんとう)や板碑(いたび)などが定着しました。室町時代には形を小型化・簡略化することで、一般民衆の需要にも応えました。そして江戸時代には、信仰対象や墓石、供養塔、記念碑などさまざまな性格の石造物が数多くつくられました。人々の思いにあわせてつくられた石造物は、今も地域の中でひっそりと歴史を伝えます。

板状の石の先端を山形に加工して梵字を刻んだ石造物

武蔵型板碑