展示

常設展テーマ10 近世尾張の文化

慶長の朝鮮出兵

令和3年8月25日(水曜)~10月24日(日曜)

 豊臣秀吉は、文禄2年(1593)から進めていた明国との講和交渉が決裂したため、慶長2年(1597)に朝鮮出兵を再開します。しかし文禄の出兵時と異なり、自らは肥前名護屋へ赴かず、もっぱら京・大坂で指揮を執りました。戦闘の最前線との意思疎通はさまざまな面で苦しいものがありましたが、それでも秀吉は自ら戦術の指示を発することにこだわりました。

 当館で編集し、今年2月に刊行した『豊臣秀吉文書集』第7巻は、文禄4年から秀吉が没する慶長3年までの発給文書を収録しました。この第7巻編集作業の成果とともに、秀吉にとって生涯最後の戦(いくさ)となった朝鮮出兵を紹介します。あわせて、近年収集した秀吉の自筆書状も初公開します。

おもな出品資料

和紙に墨で書かれた手紙の写真

初公開 豊臣秀吉自筆書状 (慶長2年) おとら宛 重要美術品 館蔵

側室「おとら」の病気を案じ、百姓に扮して仮装を楽しむ遊興「瓜畠(うりはた)遊び」に誘う内容です。
『豊臣秀吉文書集』編集作業の過程で出された時期が明らかになりました。

和紙に墨で書かれ、日付の下に朱印が押された手紙の写真

豊臣秀吉朱印状 (慶長3年)3月18日付 羽柴土佐侍従他宛 館蔵

四国の大名衆に輪番で釜山浦[プサンポ]城の援軍を指示する文書です。関連資料から慶長3年のものと判明しました。