展示

常設展テーマ10 近世尾張の文化

瀬戸の染付−焼き、売りさばく

 古代以来陶器の生産で栄えた愛知県瀬戸市域は、江戸時代に入ると九州産の薄く硬質な磁器に押されて不況に陥り、磁器生産の開発が課題となりました。

 通説では、享和元年(1801)に尾張藩士津金文左衛門が加藤吉左衛門・民吉父子に南京焼の製法を伝授したことから、瀬戸でも磁器生産が始まったと言われています。その後、民吉の九州修行や、他の陶工による技術開発を経て、瀬戸の磁器生産は発展していきます。

 当時の磁器は釉薬の下に青く発色する呉須(ごす)で絵付けをした染付が主流で、磁器自体が「染付焼」とも称されました。瀬戸では、享和2年(1802)に染付焼の蔵元制度が始まっています。この制度では、尾張藩の保護下で特定の名古屋商人が生産・流通を管理し、江戸や大坂の問屋と渡り合って販路を確保しました。

 今回の展示では、染付焼の伝世品と古文書から、当時の生産・流通の諸相を垣間見ます。特に、江戸時代後期の名古屋で幅広い活躍を見せた米穀商人で、瀬戸物会所の取締役も務めた一東理助(いっとうりすけ、久留米屋利助・車屋利助とも)という人物に注目します。

藍色の文字や模様が染め付けられた茶碗の写真

染付松竹梅文茶碗 伝加藤民吉作 享和4年(1804)頃 館蔵

飯茶碗 嘉永5年(1852)購入銘 館蔵

飯茶碗 嘉永5年(1852)購入銘 館蔵

古文書に押された印鑑の写真

久留米屋利助「国家繁昌」印影 文化7年(1810) 個人蔵(川伊藤家資料)