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五月の信長

  • 平成28年4月27日(水)~6月5日(日)

 5月から6月にかけて、織田信長を語るうえで欠くことができないできごとが起きています。まず、信長は5月28日に尾張国海東郡の勝幡城(しょばたじょう)で生まれたとされています。つぎに、有名な桶狭間の戦いは永禄3年(1563)5月19日のことです。この戦いで今川義元を破った信長は美濃に進出し、上洛の足がかりを作ります。そして、信長の最期となった本能寺の変は、天正10 年(1582)6月2日。その動きは5月末から始まります。信長は天下統一の途中でこの世を去り、明智光秀を討った羽柴秀吉の時代に移っていきます。

 さて、桶狭間の戦いの様子は、今回展示する『信長公記首巻』①の信頼性が高いとされています。信長の生涯は太田牛一が記した『信長公記』に詳しいのですが、これは足利義昭を奉じて京都に入る永禄11年(1568)から本能寺の変までを記したもので、それ以前については『首巻』に書かれています。永禄10年8月15日に岐阜城に入った信長は、動揺をしずめるため、陣取り・放火を禁じる制札②を千手堂に出します。これは当館では初公開となります。

 本能寺の変の直前、明智光秀が愛宕山の連歌で「ときは今あめが下しる五月哉」とよんだのが、天正10 年5月28日。光秀は中国に出陣と見せて、6月1日の夜、信長のいる本能寺を取り囲みます。自分を攻撃する人物が明智光秀と知ったとき、信長は「是非に及ばず」と言ったと『信長公記』に記されています。本能寺の変が起こると、味方につけたり③、混乱をしずめたり④するため、秀吉は各地に文書を出しています。実物資料を見ながら、この様子を探ってみましょう。

『信長公記首巻』(個人蔵)

織田信長禁制制札(個人蔵)

①『信長公記首巻』(個人蔵)

②織田信長禁制制札(個人蔵)

織田信雄書状(館蔵)

羽柴秀吉禁制制札(個人蔵)

③織田信雄書状(館蔵)

④羽柴秀吉禁制制札(個人蔵)