濃尾平野の治水
私たちの住む濃尾平野には、木曽三川や庄内川などの大きな河川が流れています。これらの川は、人々に恵みをもたらすと同時にしばしば災害を引き起こしたため、川との関わりがつねに流域社会の歴史を特徴づけてきました。
今回の展示では、江戸時代の木曽三川と庄内川を取り上げ、その治水をめぐる人間模様を紹介します。
江戸時代の木曽三川では、流域に幕府領・藩領・旗本領が混在していたため、複雑に絡み合う村々や領主の利害を調整しながら慎重に治水を実施していく必要がありました。そこでまず、木曽三川の広域的な河川管理に従事した川通役人の仕事ぶりを紹介します。ついで、江戸時代中期に長良川から揖斐川へ流れ込む水の量を調整するために築造された大榑川洗堰(岐阜県海津市・輪之内町)について、幕府からその管理を負担させられた村々の行方を追います。
一方、庄内川は尾張藩の強大な権力によって管理されていました。これは、流域の村々にとっては心強い反面、藩が多くの地域を守るためにやむを得ないと判断すれば一部の村が洪水の犠牲にならざるを得ないということでもありました。このような状況の下で、時に翻弄され、時にしたたかに生きた流域住民の姿を、中流域の枇杷島・小田井地区(名古屋市西区・清須市)と上流域の志段味地区(名古屋市守山区)に即して紹介します。
今回の展示には新しい発見がたくさん盛り込まれています。ぜひご自分の目でお確かめになってください。
濃州御領私領子之年堤絵図 館蔵
御冥加自普請之図 館蔵
玉野川筋上川内禿地絵図面(部分) 個人蔵