展示

テーマ10 近世尾張の文化

中林竹洞・竹溪 粉本資料

前期 令和2年12月15日(火曜)から令和3年1月24日(日曜)
後期 令和3年1月27日(水曜)から令和3年2月21日(日曜)

 昨年度博物館は、名古屋生まれの文人画家・中林竹洞(なかばやしちくとう、1776年から1853年)、及びその息子の竹溪(ちっけい、1816年から67年)に関連する粉本資料の寄贈を受けました。粉本(ふんぽん)とは、本来は下絵、画稿を意味する言葉です。「胡粉(ごふん)」という白色顔料を使用して下書きを制作したことからこのように呼び習わされました。さらには、制作の手本として使用する他の画家の作品を写した摸本・摸写(もほん・もしゃ)を指す言葉でもありました。摸本がそのまま下絵として活かされる場合もあり、両者は共に画家にとって欠くべからざる参考資料と言えるでしょう。今回は、粉本資料と完成作を合わせて紹介することで、竹洞・竹溪の創作の秘密に迫りたいと思います。

1 下絵―推敲の軌跡を追う

 画家は一枚の絵を描くために、何枚もの下絵を描いて工夫を重ね、図様の修正を繰り返しました。時には注文主の意見を反映させて、求められる形に変更することもありました。粉本(下絵)からは、そうした推敲の跡を覗き見ることができます。ここでは、中林竹溪の下絵資料を中心に、一部は完成作と比較することで、画家が絵を生み出すまでの苦闘を実感したいと思います。

恨めしそうにこちらを見つめる女性の幽霊の絵

中林竹溪「幽霊図」個人蔵 前期展示

修正を繰り返した跡の残る幽霊図の下絵

中林竹溪「幽霊図画稿」館蔵

2 摸本―創作の源流を探る

 先人の作品を手本にして学ぶことは、自分自身の創作の前提となる重要な過程です。中林竹洞は、中国からもたらされた山水画を写し学ぶことで、独自の様式を確立させ人気を博しました。ここでは、竹洞画に関連する粉本(摸本)を中心に取り上げることで、その影響源を探り、竹洞らしい山水画が誕生した背景を考察していきます。

縦長の画面に重なるように描かれた山々の絵

中林竹洞「擬施傅山水図」個人蔵 後期展示

竹洞画の元になった作品を写したもの

「施傅董法山水図」摸本 館蔵