展示

常設展フリールーム

名古屋職人図鑑

令和4年4月27日(水曜)から6月26日(日曜)

 自身の技術をもって物を作る人々を職人といいます。職人は特定のモノづくりを行うため、特化した技術を長い期間かけて習得します。職人の技を最大限に生かすには、それに合わせた道具が必要です。そのため、職人の道具は日常生活で使うものとは違っており、工程の段階や作業内容によっていくつも使い分けていました。
 今回の展示では、近年博物館が受贈した職人の道具、大工・鍛冶屋・桶屋・摺師(すりし)・三味線屋の道具や製品を紹介します。

大工 だいく

 大工は木造家屋などを建築する木工職人です。扱う道具は、測る・切る・削る・うがつなどの多岐にわたる作業に応じるため、また加工段階に準じて使い分けるために、1人の職人が数多く所有します。
 名東区で大工を営んでいた男性は、家の新築を請け負い、カンナやノコギリなど、78点もの道具を所持していました。また「祝い櫃(びつ)」という、大きい櫃も持っていました。これは棟上げ式のときに近所に餅を配ったりまいたりするときに使ったもので、一般家庭で持っていないこともあるため、大工が用意したといいます。

鍛冶屋 かじや

 鍛冶屋は鉄を打ち鍛えて製品を作る職人のことです。刀剣などを作る刀鍛冶、刃物を作る刃物鍛冶、農具類を作る農具鍛冶などがあります。
 中区で刃物鍛冶屋を営んでいた製作所では、桶屋や竹屋など、さまざまな職人が使う刃物道具を製作しました。桶屋が使う刃物類は名古屋だけでなく長野県木曽町・南木曽町からも注文を受けており、庭師が使うハサミは東海を中心に全国各地から、ヨシを切るハサミは木曽三川の河口部に住むヨシズを作る職人たちから、というふうに製作する刃物によって顧客とその販売範囲は違いました。

桶屋 おけや

 桶は短冊状の木材を円筒形につなぎ、竹や針金のタガをかけて作ります。江戸時代、尾張藩領である木曽山の木材が手に入るため、名古屋では桶の製作が盛んでした。いまでも名古屋の伝統産業のひとつに挙げられています。
 中川区にあった桶屋では、自宅の離れに4~5人の職人が作業できる作業場がありました。庭には桶に使う木材を干したり、桶を乾燥させるために火を焚く場所があったりしたそうです。炊いたご飯をいれるメシビツや、すし飯を入れるハンギリ桶をおもに作っていました。戦時中は軍用にバケツ形の桶、桶が生活用具として使われなくなると茶道用の水張り桶、というふうに世情に合わせて製作物は変化していったといいます。

摺師 すりし

 木版刷りは木の板に絵を彫って摺り取る、古くからある印刷技術です。江戸時代、浮世絵の発達により、デザインを考える絵師と木版を彫る彫師、版木を紙に摺る摺師に分業化されました。
 西区名駅には木版の摺り工程を担う職人がいました。版木は京都の彫師が持って来たといい、それを和紙に色摺りしていました。名古屋の和菓子店などの包装紙・懸け紙や扇子の地紙、畳紙などに模様や文字を摺りました。

三味線屋 しゃみせんや

 三味線は中国の三弦が日本に伝わり、江戸時代に発達したとされています。
 中区にあった三味線の小売店は江戸時代創業の古いお店です。注文を受けると、三味線の棹部分と胴部分はそれぞれの職人に依頼します。お店では、できあがった棹と胴に糸巻を付けたりや胴の皮張りをしたりなどして、三味線を組み立てました。また、三味線のメンテナンスも行いました。三味線の棹に使われる木は紅木(こうき)や紫檀(したん)、胴はカリンというふうに、材料の多くは外国産であるため、環境保護の観点から規制が厳しく、質のいいものが手に入りにくくなり、店をやめることになったといいます。

 職人が長年培った技術は、近年の生活様式の変化による需要の減少や、職人自身の死去によって絶えてしまう危険性があります。そうしたなかで職人の道具や製品は、職人の技の一面を目に見える形で残すことができる貴重な資料といえ、保存していくべきものといえるでしょう。

大工が使うのこぎりとカンナ

大工道具