展示

フリールーム

名古屋の山車とからくり人形

  • 平成29年6月28日~7月23日

 一年を通して名古屋市内にお祭りはさまざまありますが、その中にはからくり人形を乗せた山車が曳き出されるお祭りがあり、5月から10月にかけて各所で行われています。
 からくり人形は、山車の上部と、「前棚」という部分の2か所に乗っています。山車が町を回っているときには、前棚にいるからくり人形が采(ざい)または御幣(ごへい)を振り、巡行を盛り上げます。神社や特定の場所に山車が着くと、山車の上部にいるからくり人形がお囃子に合わせて演技をします。この演技の題材は、たとえば、軽技を披露したり、能や神話から取材したストーリー仕立てだったりと、さまざまです。
 写真は、紅葉狩車(もみじがりしゃ)に乗っているからくり人形の一つ、サンピン人形です。昨年度新たに当館に寄託されました。紅葉狩車は、中村区の花車神明社で10月第2土曜日に行われるお祭りで曳き出されます。からくり人形は能の『紅葉狩』をモチーフにしており、更科姫(さらしなひめ)、平維茂(たいらのこれもち)、そして従者のサンピンの、3体が山車の上部に乗っています。平維茂一行は更科姫が催していた紅葉狩の宴に参加しますが、姫が鬼女に変身し、維茂一行に襲い掛かります。鬼女は従者と争いますが、最終的に維茂によって姫に戻る、という演技です。美しい姫が一瞬で鬼女に変わるところが見どころで、その瞬間、観衆から歓声や拍手が起こります。
 紅葉狩車だけでなく、どの地域でもからくり人形の演技は祭りの見せ場の一つになっており、人間のように生き生きと動くからくり人形たちに、観衆は魅了され、祭りはいっそう盛り上がります。
 このようなからくり人形を乗せた山車が名古屋に登場したのは、江戸時代尾張藩が主体となって行っていた東照宮祭が始まりです。元和5年(1619)徳川家康を祀った東照宮が名古屋城内に建てられ、家康の命日である4月17日を中心に行われたのが東照宮祭です。翌年には橋弁慶車というからくり人形を乗せた山車が登場し、以降9輌の山車が神輿渡御に伴って巡行し、名古屋の城下町のお祭りとして盛大に行われてきました。その様子は絵画資料や文献などで知ることができます。また、三之丸天王社と若宮八幡宮で行なわれた祭りでも山車が曳かれ、東照宮祭と合わせて名古屋の三大祭りと呼ばれました。
 これらの祭りは周辺地域へも影響を与え、同じようにからくり人形を乗せた山車が各地で曳き出されるようになりました。残念なことに、三大祭りの山車は昭和20年(1945)の戦災で一部を除きほとんど焼失してしまいましたが、長い間育まれてきた山車やからくり人形の文化は、それぞれの地域の人々によって大切に受け継がれ、今でも各地のお祭りで花開いています。
 今回の展示では、からくり人形や祭りの様子の資料などを通して、名古屋の山車祭りがどのように行なわれてきたか、また、今現在のお祭りの様子を紹介します。大都市名古屋に残る、豊かで華麗な山車祭り――その一端を感じていただければと思います。

紅葉狩車のからくり人形

紅葉狩車のからくり人形

中村区紅葉狩車 サンピン人形

中村区紅葉狩車 サンピン人形