松山さんがみたナゴヤ
大須(中区)でカーテン業を営んでいた松山民右衛門氏は、明治百年記念館の創立を目指して、近代を中心に様々な資料を収集していました。残念ながら、明治百年記念館の創立はかないませんでしたが、資料の収集は、息子である昌平氏へと受け継がれ、戦前、戦後の名古屋の様子を伝える貴重なコレクションが形成されました。そして、平成27年度に、コレクションの一部が名古屋市博物館の所蔵となったのを受け、今回の公開となりました。
松山さんのコレクションは大きく分けて四つの枠組みに分類されます。一番目は名古屋の名所や商店街に関する資料[写真①]、二番目は旭廓といった遊廓に関連する資料[写真②]、三番目は江戸時代から昭和にかけての名古屋の芝居・見世物・映画などに関連する資料[写真③]、四番目は近代の名古屋を写した写真資料[写真④]です。これら松山さんの資料には、自身が参加した商店街のイベントも含まれており、松山さんがいかに地元大須や名古屋を愛していたかが伝わってきます。ここでは、そんな地域と関わるエピソードを紹介しましょう。
写真① 日本の大須(大須商店街案内図)
昭和前期 館蔵(松山コレクション)
写真② 旭廓関係資料
明治 館蔵(松山コレクション)
写真③ 映画館パンフレット
昭和前期 館蔵(松山コレクション)
写真④ 写真「狐の嫁入り」
昭和27年(1952) 館蔵(松山コレクション)
昭和29年(1954)に東山動物園のカバ、重吉(二代目)のもとへ福子がやってきます。民右衛門氏は、これを記念して10月1日に大須から東山動物園まで練り歩く「かばの嫁入り(行列)」を開催しました(結婚式は10月3日)[写真⑤]。同年9月6日付けの名古屋タイムズの記事によると、新郎の河馬太郎(二代目重吉)のもとへ新婦が嫁入りする記事を掲載しています。民右衛門氏が参加する大須風流クラブが企画して、花嫁行列はタンス・長持といった嫁入り道具を積み込んだ盛大なものでした[写真⑥]。
昭和29年(1954)に東山動物園のカバ、重吉(二代目)のもとへ福子がやってきます。民右衛門氏は、これを記念して10月1日に大須から東山動物園まで練り歩く「かばの嫁入り(行列)」を開催しました(結婚式は10月3日)[写真⑤]。同年9月6日付けの名古屋タイムズの記事によると、新郎の河馬太郎(二代目重吉)のもとへ新婦が嫁入りする記事を掲載しています。民右衛門氏が参加する大須風流クラブが企画して、花嫁行列はタンス・長持といった嫁入り道具を積み込んだ盛大なものでした[写真⑥]。
写真⑤ 狐の嫁入り・かばの嫁入り関係書類
昭和27年(1952)・29年(1954) 館蔵(松山コレクション)
写真⑥ 写真「かばの嫁入り(複製)」
昭和29年(1954) 館蔵(松山コレクション)
その結婚式から47年後の平成13年(2001)、再び「かばの嫁入り」は行われることとなります。新郎新婦は同じく東山動物園の三代目重吉と二代目福子です。11月24日に大須観音で結納の儀を執り行い、25日に嫁入り行列と結婚式を催しました。「不景気を吹き飛ばそう」と大須商店街連盟が中心となって企画したこのイベントには、民右衛門氏の息子昌平氏が中心となって参加しており、「かばの嫁入り」は親子二代にわたる一大イベントとなりました。
大須を盛り上げ、名古屋を元気にしたいという気持ちとともに、親子二代にわたって収集された松山さんのコレクション。展示をとおして松山さんがみつめたナゴヤをぜひご覧下さい。
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