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満州のポスター ・チラシ

  • 常設展テーマ14「戦争と市民」
  • 平成29年7月26日~9月24日

 明治38年(1905)、日露戦争後のポーツマス条約により、日本は長春―旅順間その他の鉄道や重要炭鉱の権利等を獲得し、翌年これらを経営する南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立した。同じくポーツマス条約により、遼東半島のロシア租借地をも獲得し、関東州の名のもとに日本の管理下においた。関東州と満鉄附属地の警備のため明治39年(1906)に設置された関東都督府陸軍部が、大正8年(1919)に独立して関東軍となった。やがて関東軍は関東州や満鉄附属地の警備を超え、日本の大陸政策の先頭に立ち、昭和6年(1931)の満州事変や翌昭和7年(1932)の「満洲国」建国を強引に押し進めた。「満洲国」は「王道楽土、五族協和」をスローガンとした。しかし、それは日本を盟主として満州に居住する人々を統合するためのスローガンに過ぎず、その資源と市場を日本のものとするために「満洲国」を建国したのであった。ここでは、「満洲国」建国後に作成、掲示されたポスター・チラシを紹介する。
 これらのポスターは、戦前戦中に名古屋市立小学校・国民学校の教員であった故栗田義美氏の収集によるものである。栗田氏の収集は幅広く、(1)戦争関係ポスター265点、(2)満州関係ポスター125点、(3)満州関係のチラシや絵葉書182点、(4) 『戦事(時)画報』等 50点からなる。これまでも、常設展テーマ14「戦争と市民」において3~4点を順次紹介してきたが、今回は以下の4点を紹介する。

資料写真 満州国建国記念ポスター

「満洲国建国紀年」ポスター 昭和8年(1933) 館蔵(栗田コレクション)

 「満洲国」建国1周年を記念するポスター。昭和6年(1931)の満州事変により満州(現在の中国東北部)全域を占領した関東軍は、軍主導の下に昭和7年3月1日「満洲国」を建国した。元首(摂政、のち皇帝)には清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)が就任した。「大同2年」(1933)は「満洲国」の年号。

資料写真 南満洲鉄道株式会社ポスター

「南満洲鉄道株式会社」ポスター 昭和16年(1941) 館蔵(栗田コレクション)

 南満州鉄道株式会社は日露戦争後にロシアから獲得した鉄道や炭鉱などを経営するため明治39年(1906)に設立された国策会社。鉄道交通、石炭鉱山、製鉄所などを経営した。昭和7年(1932)「満洲国」成立後は、満州全土の鉄道を管理下においた。昭和20年(1945)太平洋戦争敗戦により消滅。

資料写真 満鉄撫順炭鉱ポスター

「満鉄撫順炭鉱」ポスター 昭和前期 館蔵(栗田コレクション)

 南満州鉄道株式会社(満鉄)は、鉄道事業を中心に多岐にわたる事業を展開し、日本の満州経営の中核を担った。撫順炭鉱(ぶじゅんたんこう)は日露戦争後にロシアから獲得した満鉄附属地の炭鉱で、露天掘りによる大規模な採炭が行われた。撫順炭鉱産出の石炭と鞍山産出の鉄鉱石による鞍山製鉄所(あんざんせいてつじょ)は満鉄の最大の事業であった。

資料写真 大満州国チラシ

「大満洲国」チラシ 昭和前期 館蔵(栗田コレクション)

 昭和7年(1932)の「満洲国」成立後、「満洲国」をPRする様々なポスターやチラシが作成された。このチラシは背景から昭和8~9年(1933~34)頃のものと思われる。「日本、蒙古、満州、朝鮮、漢」の5族が肩を組み笑顔で前進する姿は、「王道楽土、五族協和」を謳(うた)う「満洲国」のスローガンを描いたもの。