展示

話題のコーナー

河口部の漁

令和2年1月29日(水曜)から3月22日(日曜)

 2月2日は、ラムサール条約締結を記念して制定された「世界湿地の日」です。ラムサール条約は湿地の保全を目的としており、庄内川・新川・日光川の河口部に位置する藤前干潟(名古屋市、飛島村)も同条約によって登録された湿地の一つです。現在は大部分が陸地化していますが、名古屋市から弥富市にかけての沿岸部には、かつて広大な干潟が広がっており、藤前干潟は伊勢湾奥部で最後に残った干潟ということになります。
 かつて広がっていた干潟を含む河口部は、漁場であり、航路であり、遊び場であり、干拓に適した土地でもありました。今回の展示では、河口部で行われた漁に注目し、沿岸部の生活を紹介します。

汽水域を中心とした浅海の漁

 大小さまざまな河川が海に注ぎ込む伊勢湾奥部は、淡水と海水が混ざる汽水域であり、潮の満ち引きを利用した漁も行われました。川の下流に網を設置する川建網漁もその一つです。川の上流に向けて袋状の網を設置し、下げ潮の時に上流から下流へ移動するシラウオやウナギをとりました。
 川先に広がる干潟は干潮時には非常に浅くなり、ここでも潮の干満を利用した漁が行われました。満潮時に網をしかけて潮が引いてから網にかかった魚をとる漁、潮が引いて浅くなった海に入り貝をとる漁など、浅海ならではの漁法が展開しました。

あみをつかったりょうのもけい

川建網漁の模型 館蔵

名古屋の海の産物

 河口部は、さまざまな魚介がとれる漁場でした。江戸時代の地誌には海の産物として、ウナギやボラ、カキなどが記されており、古くから汽水域にすむ魚介をとることが盛んであったことがわかります。その中でもハマグリやシジミなどの貝類は、特に主要な産物でした。浅海の伊勢湾の中でも特に水深が浅く、海と川の水が混ざる湾奥部は、多くの貝類が育つのに適した環境でした。この環境を利用して、大正時代から昭和初期にかけて海苔や牡蠣の養殖も始められました。
 河口部の漁は昭和30年代後半まで行われ、その産物は名古屋市街や内陸部に運ばれてゆきました。沿岸部には海と結びついた地域があり、河口部の環境に応じた生活があったのです。

カキをかこうするどうぐ

カキを加工する道具 館蔵