尾張・三河の画僧
画僧(がそう)とは、僧侶でありながら絵を得意とする人物のことを指します。とりわけ中世以降の水墨画を能くした禅僧を言うことが多く、朝廷や寺院に仕え、僧籍にありながら職業的に絵画制作をおこなった画工・絵仏師(えぶっし)とは区別されます。基本的には僧侶としての活動が主であり、兼業的に仏画の、または余技的に世俗画の制作を行いました。ただし画僧と呼ばれる僧侶の性格も様々で、明兆や雪舟のように、ほとんど職業画人として活動した人物もいます。
画僧による作画の目的は多岐に亙ります。法要で使用する仏画の制作、信仰の普及・拡大のための制作、生活や宗教活動の資金を得るための制作、自己の楽しみのための制作、等々。以上の目的は独立したものではなく、それぞれが重なり合い、関係し合うものでもありました。今回のテーマ展では、江戸時代の尾張・三河地方で活動した四人の画僧、瑞岡珍牛(ずいこうちんぎゅう、1743から1822)、豪潮寛海(ごうちょうかんかい、1749から1835)、横井金谷(よこいきんこく、1761から1832)、風外本高(ふうがいほんこう、1779から1847)の作品を取り上げ、それぞれの作画活動の背景を探りつつ、個性豊かな表現を紹介していきます。
豪潮寛海「十六羅漢瑞応出現図」館蔵
風外本高「灌仏図」個人蔵
横井金谷「夏景山水図」館蔵