展示

常設展フリールーム

エルモ社と小型映画

会期:令和2年6月24日(水曜)から8月23日(日曜)

 平成30年度、当館はエルモ社より光学機械のコレクションをご寄贈いただきました(一括、93点)。エルモ社は大正時代に名古屋で創業し、小型映画用の映写機やカメラの代表的メーカーへと成長していった会社です。
 今回の展示では、それらの光学機器を中心に、映画を映すこと・撮ることが一般人には難しかった時代から、小型映画の発展によって生活の一部へと変わっていった歴史を見ていきます。

小型映画とは?

古い映写機とカメラが並んでいる写真

パテ・ベビーカメラとパテ・ベビー映写機 1925年頃 館蔵

 19世紀末にヨーロッパで発明された映画のフィルムは、35ミリ幅が普通でした。手軽に映画の撮影や上映を個人で楽しみたいという要求から、経済的な小さいフィルムを使う映画が生まれます。これを小型映画と言います。9.5ミリフィルムを使うフランス製の「パテ・ベビー」は戦前の日本にも多くの愛好家を生みました。

名古屋のエルモ社

黒っぽいツヤのある映写機

エルモA型 昭和2年(1927)館蔵

 名古屋の榊商会(のちのエルモ社)は小型映画の将来性に注目し、昭和2年(1927)、初めての国産16 ミリ映写機となる「エルモA型」を開発します。小型映写機は趣味としてだけでなく、視聴覚教育用に学校で使われるなど社会に浸透していき、それに合わせてエルモ社も様々な機種を発売していきました。戦後は名古屋市が社会教育としてさかんに行った「家庭映画会」を通して一般の人々が家庭での上映に接する機会は増えていきました。。

8ミリフィルムとホームムービー

女の子が二人、海で遊んでいる。

ホームムービー「知多内海 海水浴」より 昭和36年(1961)撮影 館蔵

 戦後の小型映画は8ミリフィルムが主流となりました。昭和30年(1960)頃から8ミリカメラ、映写機は次々に新型が発売され、自動化・簡略化が進んだことでより多くの人が扱えるようになりました。8ミリの普及に伴って、家族の様子を映像に残す人々が増えていきます。これらのホームムービーは、家族に共有される意識や記憶に映像という新しい形を与えました。