「教室も戦場だ」
昭和20年(1945)の終戦までの約10年間、学童は「少国民」と位置づけられていました。年少、すなわち、国民だが様々な義務が生じる年限に達していないだけ、といった意味合いです。そのため学校では成人国民との共通性・連続性をうたう意識教育がおこなわれました。
昭和17年(1942)12月の掲示物「兵隊さんにつづけ!」(写真1)では、「(父母も)みんな兵隊さんと同じ気持ちで戦つてをられるのです」と書かれています。戦う心には兵隊も銃後も無い、少国民も続け、という呼びかけです。これは9才を迎える皇太子(現:今上天皇)の誕生日に合わせて開かれた、「少国民ちかひの大会」での東条首相の訓話の一節です。
また明くる昭和18年(1943)3月の、「教室も戦場だ」で始まる掲示物(写真2)は、「兵隊さんにつづけ!」「撃ちてし止まむ」といった、今も有名なスローガンで構成されています。学校を卒業する学童の決意のあるべき姿を宣言したもので、これも全国に配布されました。しかし悪化の一途をたどる戦況の下、「銃後」の学校も都市部では、掛け声だったはずのスローガン通りの、爆弾が降る本当の「戦場」となっていきます。
一方家庭では先行して、戦争や軍隊に自然に親近感を持つような土壌作りとも呼ぶべき、ソフトな形の導きがおこなわれていました。例えば、真珠湾攻撃前夜の昭和16年(1941)10月、6~8才児向けに作られた絵本「アヲゾラ」は、表紙も含め、秋の自然や歌など、20ほどのほのぼのとした場面からなる絵本です(写真3)。ところが冒頭から2場面目に唐突に「ヘイタイサンゴクラウサン」(写真4)が登場し、また末尾近くにある靖国神社祭礼の参拝場面も、身近な風景や自然中心の全体構成からするとやや異質です。注目されるのは巻末の、絵本を読み聞かせる母親に向けた文章「お母さまへ」の内容です。この絵本の製作団体が母親に対して「特にお教え願い度い」としている対象場面は、他でもない、この行軍中の兵隊と靖国神社の2場面なのです。「お子様に理解できる範囲内で」日本が戦争している理由や兵士の苦労、英霊のことを話してほしい、とあります。それ以前からすでに、絵本の場面中に軍関係の内容を必然性なく登場させる様式はありましたが、このころ以降は、母親に対して明確に導きを働きかけるようになっていきます。
学校や家庭において、「少国民」として生きた子ども。彼らを取り囲んでいた当時の雰囲気をしのばせる館蔵品をご紹介します。
写真1 学校掲示「兵隊さんにつづけ!」 昭和17年(1942) 館蔵
写真2 学校掲示「学校も戦場だ」 昭和18年(1943) 館蔵
写真3 絵本『アヲゾラ』のうち「クリヒロヒ」 昭和16年(1941) 館蔵
写真4 絵本『アヲゾラ』のうち「ヘイタイサンゴクラウサン」 昭和16年(1941) 館蔵