展示

常設展フリールーム

舞楽(ぶがく)

平成31年3月27日(水曜)~令和元年5月26日(日曜)

 中国、朝鮮などのアジア大陸から日本にもたらされた舞を伴う音楽は、平安時代には宮廷社会に広く浸透し、日本人の嗜好に合わせて独自の発展を遂げて、「舞楽」として大成します。名古屋でも熱田神宮をはじめとし、古くから舞楽が盛んに行われていました。今回のテーマ展では、舞楽を題材にした作品と、江戸時代の尾張で行われていた舞楽の様子を伝えてくれる史料を紹介します。舞姿の一瞬を切り取った、雅やかな世界をお楽しみください。

舞を披露する男性の絵

帆山唯念「尾張浜主図」
(ほやまゆいねん「おわりのはまぬしず」)

尾張浜主は伝説的な舞の名手で、熱田神宮の楽人出身であったと伝わる。
本作は、承和十二年(845)、浜主が仁明天皇の前で自作の舞「和風長寿楽(わふうちょうじゅらく)」を披露する姿を描く。この時113歳であったという。作者の帆山唯念は、三重・桑名出身の画僧。渡辺清、浮田一蕙に師事し、やまと絵を学んだ。

「青海波(せいがいは)」という舞を舞う人と、楽器を持つ人の絵

田中訥言「舞楽図模写」(たなかとつげん「ぶかくずもしゃ」)

「青海波(せいがいは)」を舞う舞人と、手に楽器を持つ楽人を模写した作品。装束や沓など、絵の一部が欠けている箇所があり、訥言が祖本の状態を忠実に写していることがわかる。模写でありながらも、描線は伸びやかで迷いがなく、訥言の画技の巧みさが表れている。

「青海波(せいがいは)」という舞を舞う人と、楽器を持つ人の絵

「舞楽図屏風縮図」(ぶがくずびょうぶしゅくず)

 14種の舞と、鼉太鼓(だだいこ)、松樹を簡略な墨線で描いた作品。狩野探幽(1602~1674)による古画の手控えである「探幽縮図」の可能性がある。近世初期に活躍した土佐光則(1583~1638)が描いた舞楽図の作例と図様が共通し、土佐派が描いた舞楽図屏風を写していると考えられる。