浮世絵にみる有松絞店
令和2年2月26日(水曜)から3月22日(日曜)
※臨時休館のため、会期が令和2年2月28日(金曜)までとなりました。
江戸時代のマスメディアたる浮世絵版画は、商品を宣伝する媒体としての役割を果たしました。尾張にゆかりのあるところでは、有松(現名古屋市緑区)の絞店が発注した宣伝チラシが存在しています。ここでは、そうした宣伝チラシだけでなく、東海道シリーズに描かれた名所絵としての作例も眺めながら、江戸の葛飾北斎や歌川広重、名古屋の小田切春江ら絵師が、どのように有松絞店を描いてきたかを探ります。
あわせて平成30年度の新収資料も初公開。
No.1からNo.4は、いずれも出版検閲印(しゅっぱんけんえついん)や版元印(はんもといん)が無いことから、一般販売品ではなく、各店舗が独自に発注した自費出版の摺物(すりもの)、つまり宣伝チラシとみられます。似通った雰囲気を持つものの、大きさや枠などの体裁が異なるため、同一シリーズではなく、別々に注文されたものと考えられます。
歌川広重「有松絞 竹谷佐兵衛店先」館蔵
歌川広重は江戸在住の絵師。果たして遠く離れた有松の店をどうやって描いたのでしょう?
広重が天保3年(1832)に東海道を旅したという伝承は、かなり曖昧な情報です。その一方で、残されたスケッチから天保8年(1837)には旅に出ていることが判明しています。その旅程からみて、このとき彼は有松村を通過したと思われます。しかし、だからといってNo.1「有松絞 竹谷左兵衛店先」が、実店舗を写生した成果なのだとは考えにくいのです。
なぜならば、地方より発注を受けた場合、地元の絵師による下絵を送ってもらうことが、浮世絵の常套手段であるからです。恐らくこの場合も名古屋からの情報提供があり、そしてその下絵を描いたのは『尾張名所図会』での実績がある、小田切春江だったのではないでしょうか。
東海道シリーズの一図として
No.8からNo.11は、東海道筋の宿場毎に名所や名物を示したシリーズのなかの有松絞店です。有松絞りが全国的に知られた名産だったことに加え、現実の旅における風俗要素を加味する意図があってか、鳴海宿では、鳴海潟(なるみがた)や千鳥塚(ちどりづか)のような旧跡ではなく、近隣の有松村の絞店が描かれるのが定番となっています。
葛飾北斎「東海道五十三次 四十一 鳴海」館蔵
歌川広重「東海道五拾三次之内 鳴海 名物有松絞」館蔵(尾崎久弥コレクション)
こうして並べてみると、北斎、広重、春江、それぞれの特色が浮かび上がります。
北斎のNo.8「東海道五十三次 四十一 鳴海」は名所絵というより、もはや美人画。文化年間の北斎が得意とし、人気を博していたのは、ここに描かれたような楚々とした美人です。絞り糸を口にくわえ、華奢(きゃしゃ)な手首をあらわにした、くくり作業は女性のたおやかさを強調するにうってつけな設定といえるでしょう。
広重は名産、絞り商品に焦点をあてています。No.1「有松絞 竹谷佐兵衛店先」では、絞布の干し場が演出として加わり、商品の華やかさを印象づけています。宣伝チラシとしての効果は抜群であったことでしょう。
春江のNo.3「有松絞 山形屋店先」、No.4「有松絞 丸屋丈助店先」からは、各店の立地や特色など、地元ならではの情報力を駆使して、絵だけでなく上部の説明にも力を入れている様子がうかがえます。
自分たちに求められているものが何か、よく理解した上で彼らが(写生ではなく)作画していることが分かるのではないでしょうか。
※「資料紹介 有松絞店の宣伝チラシ」もご参照ください。
www.museum.city.nagoya.jp/collection/data/data_44/index.html