コレクション

松ヶ洞8号墳出土玉類 勾玉、管玉、ガラス玉・・・

青、白、緑、黄色など色とりどりの様々な形の玉類。

写真1 松ヶ洞8号墳出土玉類

 古代から人々を魅了するアクセサリーの一種である玉類。日本では縄文時代から動物の牙や骨・角や様々な種類の石材でつくられ、弥生時代にはガラス製のものが加わった。古墳時代においても石、ガラス、金・銀など多様な素材が使われ、様々な形の玉類が作られた。こうした玉類の中でも、特に勾玉はその独特な形から現代においても人気があり、多くの意匠にもちいられる。

 ここで紹介する乳白色の勾玉、濃緑色の石で造られた管玉(くだたま)、瑠璃(るり)色(濃い青色)や黄色のガラス玉など、色とりどりの玉類は、名古屋市守山区にあった古墳時代中~後期(5世紀末ごろ)の松ヶ洞8号墳から出土した玉類である。

様々な玉類

 松ヶ洞8号墳から出土した勾玉は、乳白色に少し緋色がまじるメノウ製。尾が頭に比べてやや細くなるCの字形で、大きさは縦36㎜ほどある。

 ガラス製の玉類は、直径10㎜前後の大粒のガラス丸玉と4㎜前後の小玉(こだま)がある。大粒の丸玉は瑠璃色で、小粒の物は瑠璃色と青色、黄色がある。また、蜜柑(みかん)の房のように縦に筋が入った「蜜柑玉」と呼ばれる白乳色のガラス玉も1点ずつある。

 管玉は濃緑色をした碧玉製で縦9~9.8㎜ほどでやや大きさにばらつきがある。穴をあける際に、片面からあけるものと、両面からあけるものがあり、作り方に違いがあるが、いずれも表面は丁寧に加工し磨かれ光沢のある仕上がりとなっている。

出土した状況から復元する

棺の痕跡と玉類の出土状況

図1 松ヶ洞8号墳出土状況図

 松ヶ洞8号墳は、守山区龍泉寺付近にあった松ヶ洞古墳群の1基で、宅地工事にともない昭和37年(1962)に発掘調査が行われた。1辺8.4mの方墳で周囲には円筒埴輪列が巡り、中央付近には粘土で覆われた棺が2つ並列して埋められていた。北側の棺(1号棺)、南側の棺(2号棺)両方から玉類が出土している。遺体が残っていたわけではないが、出土物(特に玉類の位置)からおおよその埋葬位置が類推できる。

Cの字の形をした乳白色の勾玉と青いガラス玉

写真2 1号棺出土の勾玉とガラス玉

 まず1号棺では、頭部と推定される付近に、メノウ製勾玉を中心としてガラス製丸玉が紐で環状に繋がれたような状態で出土している。勾玉をトップとした首飾りがあり、丸玉のなかでも比較的大型(10㎜を超える)ものが勾玉の左右に配されたようである。

 また、瑠璃色のガラス製小玉がそれより頭側にばらけた状態で出土しており、報告書では耳飾りを想定している。

 さらに、胴付近では、ガラス製丸玉が連なった状態で2群検出されており、左右の腕飾りと推定されている。右手側は瑠璃色ガラス丸玉で直径12㎜前後と比較的大粒の物が使用されている。左手側は直径10㎜前後の瑠璃色ガラス玉からなる腕輪である。

緑色の管玉と青、緑、黄色のガラス玉

写真3 2号棺出土の管玉とガラス玉

 さらに、2号棺では、頭付近で、鏡とそのうえに碧玉製の管玉と黄色ガラス小玉、蜜柑玉、ガラス製小玉が出土した。報告では、身体に装着したものというよりは、鏡とともに置かれたものと考えられている。一方、腕とみられる位置からも出土しており、右腕側では緑色のガラス小玉群、左腕側では瑠璃色のガラス小玉と少数の緑色ガラス小玉が出土している。左右で色調が異なったガラス玉の腕輪をしていたようである。

 これらの玉類が、普段から被葬者が身につけていたものか、葬送にあたってつけられたものかはわからないが、出土状況から首飾り、耳飾りや腕輪などとして玉類が使われたことがわかる古墳時代のアクセサリーの一例となっている。

(瀬川貴文)

参考文献:守山市教育委員会1963『守山の古墳』

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。

※写真の玉類の輪は出土群ごとに整理するために紐で連ねたものです。それぞれの輪が本来どれぐらいの大きさであったかは不明です。