コレクション

中條勇次郎の八角合長掛時計

 現在、名古屋周辺地域は中京工業地帯と呼ばれ、ものづくりの盛んな地域として知られている。明治維新の後、社会が大きく変化する中で近代的な産業が勃興し、名古屋も近世城下町から近代産業都市へと変貌を遂げた。

 近代名古屋で盛んになった新しい産業の代表的なものとして、時計製造が挙げられる。名古屋では明治期に多くの時計製造会社が設立され、愛知時計、尾張時計など大きく成長を遂げた企業も存在する。現在も時計製造を続けている企業はないが、培った技術を生かし、計器類や精密部品の製造に転身して事業を継続している企業は複数あり、名古屋のものづくりを支え続けている。

 令和3年(2021)、古時計の収集家・研究家として知られる戸田如彦(ゆきひこ)氏より、名古屋周辺地域で生産された古時計を中心とする時計関係資料90点が寄贈された。ここでは、そのうち特に注目すべき1点を紹介しよう。

発明家中條勇次郎の掛時計

 写真1は、中條勇次郎(ちゅうじょうゆうじろう・1858〜99)製造の掛時計である。八角形に短い尾の付いた八角合長(はっかくあいなが)型で、文字盤はやや大型の12インチ。ゼンマイは八日巻で、「ボンボン」と鳴る時打ち機能も付いている。文字盤がやや変色しているが、内部のムーブメントはサビひとつ無く、ゼンマイを巻けばきちんと動作するなど、良好な保存状態にある(写真2)。中條は名古屋時計産業の先駆者として知られる人物で、彼の手による時計は現在、博物館明治村が所蔵する1点など3点しか知られておらず、本資料が4点目の出現となる。

八角形の木枠の下にホームベース型の振り子室が付いた黒いボンボン時計

(写真1)八角合長掛時計 中條勇次郎製造 林市兵衛販売 明治 館蔵(戸田如彦収集古時計コレクション)

歯車がたくさん付いている時計の内側

(写真2)本体内部のムーブメント

 中條は、もともと岡崎の錺(かざり)職人だったといわれている。中條本人や関係者に取材した末松謙澄によれば、明治2年(1869)、知人が『博物新編』という科学書に触発されて自宅に作った電線呼鈴に感心し、それから種々の発明に取り組むようになった。特別な教育を受けていたわけではなかったが、機械についてはひと目見れば忘れないという優れた資質を有しており、東京から運ばれてきて展示されていた蓄音機を見ただけで精巧な模造品を製作したという。岡崎のエジソンとでもいうべき天才少年の姿が想像されるだろう。しかし、掛時計の製作については明治11年から取り組んだが3度失敗したといい、その難しさが知られる。

名古屋時計産業の黎明

 明治41年の愛知県時計製造同業組合「雑書綴」(博物館明治村蔵)によれば、中條の時計開発が軌道に乗ったのは、明治19年10月に水谷駒次郎という協力者と出会ってからのことである。水谷はもともと名古屋の木挽職人で、当時は測量機器の部品を製作していたという。水谷は明治20年1月から中條宅に住み込んで共に開発に取り組み始めた。開発にあたっては、アメリカ製の通称「大ボン」と呼ばれる12インチの掛時計を参考とし、同年5月に至り2ダースの時計を製造することができた。

 時計を完成させた中條らは、サンプルの2点を名古屋の輸入時計商林市兵衛のもとへ持ち込み、投資の交渉をした。当初は委託販売の形で契約が結ばれたようだが、結局、林は中條らを丸ごと雇用することとし、明治21年1月に時盛舎(じせいしゃ)という会社を設立して杉ノ町(現東区泉一・二丁目)の工場で時計製造を開始した。これが、名古屋における時計産業の始まりである(なお、文献によってこの間の年次には異同が見られる)。

 明治20年6月に林市兵衛と中條勇次郎が交わした契約書には「下ケ振ボンボン時計製造器械」「ボンボン時計極精品壱ヶ月ニ三百丁製造」と見えるから、中條らの時計製造が手作りの工芸品的なものではなく、大量生産を可能とする近代的な製造機械によるものだったことがわかる。この時の契約で、中條が林に対してこれらの製造機械一式を1200円という大金で譲渡することが取り決められている。

アルファベットで文字が書かれた古いラベル

(写真3)振り子室に貼られたラベル

 本資料の振り子室には、製造元を示すラベルが貼られている(写真3)。そこには、「八日巻時計 製造人 愛知県岡崎連尺町 中條勇次郎 一手販売所 愛知県下名古屋本町四丁目 林市兵衛」(原表記はローマ字)と記されている。この表示に従えば、本資料は中條と林が出会って以降、時盛舎が設立される以前に製造・販売されたものということになる。まさに名古屋時計産業の黎明期を伝える産業遺産であり、大変貴重な資料といえるだろう。

(鈴木雅)

*『名古屋市博物館だより』231号(2021年4月1日発行)所収の鈴木雅「中條勇次郎の八角合長掛時計」で、中條勇次郎が明治20年5月に製造した時計の個数を「12ダース」と記述しておりますが、これは「2ダース」の誤記です。お詫びして訂正いたします。

*本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。

参考文献

末松謙澄「岡崎奇人中條勇次郎氏の発明品に関する話」『東洋学芸雑誌』115号、1891年。

愛知県『愛知県史 上巻』1914年。

名古屋市『産業調査第三輯 時計に関する調査』1924年。

吉田浅一編『名古屋時計業界沿革史』商工界、1953年。

博物館明治村編『改暦120年記念 時と時計展』名古屋鉄道、1993年。

戸田如彦『アンティーク掛時計』トンボ出版、2001年。

戸田如彦・矢野睦巳・日本古時計保存協会『日本の古時計 01 中條勇次郎製造の時計』チロルハウス、2014年(2016年修正)。