コレクション

尾張名所図会 附録 小治田之真清水(おわりだのましみず)
―岡田文園のこだわり―

尾張名所図会附録の5冊

『尾張名所図会 附録』(初編) 館蔵

 『尾張名所図会 附録(小治田真清水)』は、初編5冊・二編1冊からなり、前編(7巻7冊・天保15年(1844)刊)・後編(6巻6冊・明治13年(1880)刊)の続編として刊行された。そもそも尾張名所図会とは、「名所図会」とあるように尾張国内の名所を文章と挿絵で紹介したもので、江戸時代の尾張を知るにあたって最も利用される資料のひとつである。

 前編・後編は、画を小田切春江(忠近)や森高雅ら、文章を岡田文園(啓)と野口梅居(道直)が担当したが、附録の文章は岡田のみが担った。前編の刊行後、後編と附録は金銭的理由などからすぐに刊行できず、附録の初編が出版されたのはなんと昭和5年(1930)である。もちろん携わった者は誰も生存していない。しかし、初編の5冊は版下が存在し、それもとにした写真版が昭和5年に出版され、未完のままであった二編の1冊は草稿を翻刻したものが昭和8年(1933)に出版されたのだった。ちなみに、タイトルの「小治田之真清水」は、「尾張の田」「増水」の意味を懸けており、前編・後編で漏れた事項を書き集めたので「増水」ということらしい。

 版を重ねられた前編・後編に比べると、限定200部で出版された附録はあまり知名度が高いとは言えないかもしれない。しかし、前編・後編に続いて文章を担当した岡田にとってはリベンジマッチ作品だったようで、彼のこだわりや熱意を凡例から感じることができる。

(前略)

 さて、前編7冊・後編5冊は数年をかけて精密を尽くしたとはいえ、漏脱の無いようにはできなかった。これは1つの遺憾といえるだろう。

(中略)

 『(尾張)名所図会』(前編・後編)には詩文・和歌・狂歌・俳句等、古今の関係なく近世の生存している人の作品も多く載せているが、この編(附録)には百年以上前の作品のみを取りあげて、近代のものは載せていない。稀には近頃の作品も有るが、それは事実の証となる詩歌・発句等なので、やむを得なかったと分かってほしい。

(中略)

(藤原)師長公・陳元贇(尾張藩に仕え、多分野に明るい明の帰化人)などの絵は『名所図会』(前編・後編)にあるとはいっても、その様子はひどく違う。ここ(附録)に描かれるものは、師長公が僧の姿のものを写し、陳元贇の頭部は明人(中国人)の風で、『四十二国人物図説』(日本最初の人種図譜)等の絵によく合っている。

(後略)

 以上のように、岡田は前編・後編の出来に満足しておらず、附録では色々と気にしていた点を自分の思うままに仕上げようとしたことがうかがえ、岡田の附録に対する熱意が感じられる。

 さて、自身の存命中での刊行はかなわなくとも、今度こそ岡田のこだわりを反映させて後世に刊行された附録。前編・後編と違い、執筆者が自身だけだからか、本筋から少々脱線した個人的な話題も盛り込んでいる。

尾張名所図会附録の巻四。豊臣秀次の事績が記され、秀次の銅印の絵が描かれている。

『尾張名所図会 附録 巻四』① 館蔵

尾張名所図会附録の巻四。豊臣秀次の事績と銅印について記されている。

『尾張名所図会 附録 巻四』② 館蔵

尾張名所図会附録の巻四。豊臣秀次の銅印部分の拡大画像。

①の部分拡大

 こちらは附録の巻四に所載の「関白秀次公乃事」の項。岡田は豊臣秀吉の甥・豊臣秀次の人柄を大層敬っているようで、「(秀次事件で)無実の罪によって横死したのは痛ましいことではないか」といった内容がつづられているが、驚くべきことに、岡田は秀次の銅印を所持しているとも記しているのである。猊(げい・獅子に似た瑞獣)の鈕(ちゅう・つまみの部分)であることや、重さが37匁(約139g)であることが小田切による図とともに記されている。趣味で古銅印を集めているうちに手に入れたようだが、果たして本物なのであろうか。当館所蔵の豊臣秀次朱印状の朱印部分と見比べてみよう。

豊臣秀次朱印状の朱印部分

(天正20年)2月朔日付

豊臣秀次朱印状の朱印部分

天正20年7月14日付

豊臣秀次朱印状の朱印部分

(天正20年)9月8日付

豊臣秀次朱印状の朱印部分

(文禄2年)4月9日付

 岡田は「押して(読者の)御覧に入れます」(意訳)と記しているので、文面通りなら岡田が押したものを小田切が筆写したということだが、なんとも微妙である。天正20年(1592)7月14日付の朱印状に押された朱印の「豊」の字は、朱肉の付き方からか、多少似ているような気もする。

 また、岡田は「『集古十種』(松平定信編の古宝物図録集。1800年頃刊)にこの印影の写しがあるが、古模本から取ったものだから本当の形ではない」とも記している。それでは『集古十種』がどのような印影を写しているのか見てみよう。

『集古十種』に描かれた豊臣秀次の印章の印影

松平定信編 『集古十種』 印章二 国立国会図書館蔵

 『集古十種』に描かれた印影は本当の形ではないと豪語しながら、実際に確認してみると、不思議なことに附録の絵とかなり似ている。この場合考えられるのは、①「岡田が偽物をつかまされたか」、②「岡田は本物を所持していたが、何らかの理由で小田切が本物の印影以外のものを参考にして筆写したか」といったところだろうか。なんにせよ、岡田が本物の秀次の印章を所持していたという確認が取れないことに変わりはない。しかし、少なくとも幕末期までには「秀次の印章らしきもの」が存在したということや、小田切は一体何を参考に筆写したのか、何故『集古十種』の印影とそっくりなのか、などの点は大変興味深い。ただ、せっかくこだわりを尽くしたはずのこの附録で、また、敬愛していたであろう秀次の印章の本来の印影を描いてもらえなかった岡田を思うと、なんとも不憫である。

 ここまで、岡田の附録に対するこだわりや秀次への思いに焦点を当てて紹介した。『尾張名所図会 附録(小治田真清水)』は、ただ単に前編・後編の続編として読んでももちろん面白いが、筆者である岡田の人物像やこだわりを探りながら読むという楽しみ方もできる作品なのである。

(加藤千沙)

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。

※『集古十種』は国立国会図書館蔵(請求記号 W151-H1)。国立国会図書館デジタルコレクションより転載。