コレクション

松平家康起請文

 江戸時代以前の日本では保証や契約などをする際に、神仏に誓約する言葉「起請(きしょう)」を文書にした「起請文(きしょうもん)」を取り交わした。戦国時代でも、家臣への領地安堵の証文や大名間の軍事同盟の締結・合戦の和睦の外交文書などとして多くの戦国大名が起請文を用いた。
 起請文という文書様式は、平安時代後期に生まれたもので、神仏に誓いを立て、もしその誓いが偽りならば、もしくはその誓いを破ったならば、神仏の罰を受ける旨を記した、いわゆる誓約書である。誓いの内容を記した部分を前書といい、神仏の名を勧請し神仏の罰を受ける旨を記した部分を神文という。起請文は初め白紙に書かれていたが、中世になると寺社の発行する「牛王宝印(ごおうほういん)」という厄除けの護符の裏に書かれた。そして、戦国時代には、前書を白紙に書き、神文を牛王宝印の裏に書く場合が多くなった。
 当館所蔵の戸田家資料にも、松平家康(徳川家康)が出した起請文が残されている。

和紙の護符の裏に書かれた文書

1 松平家康起請文 戸田主殿助宛 永禄7年5月13日付

 1の資料は永禄7年(1564)5月13日、二連木城主戸田主殿助(重貞)に、都合3,000貫文の知行を安堵することを約束した起請文である。
 永禄3年(1560)の桶狭間の戦いにより長い人質生活に終止符をうった家康は、同年5月に岡崎城に入城し三河経略に乗り出した。また、今川方にいた国人は桶狭間の戦いを契機に今川方から離反し始める。二連木城主戸田主殿助(重貞)も今川氏から離反し、人質として今川方に差し出していた母を救出すると家康方についた。
 本資料は起請部分が残るのみで領地を書上げた前半部分が欠如しているため、内訳まではわからない。だが、家康が主殿助に出した領地目録の写(国立公文書館所蔵「参州戸田文書」)によると、二連木など本知約870貫文の安堵とともに、牛窪など約2,100貫文の新たな領地を与えたようである。

和紙の護符の裏に書かれた文書

2 松平家康起請文 戸田甚平宛 永禄7年11月16日付

 同年11月、吉田城下の戦いで主殿助が戦死すると、その弟の甚平(忠重)が跡を継ぐことになる。2の資料は家康が忠重に対して、重貞に与えたのと同様の新知・本知を安堵したものである。こちらも残っているのは起請部分のみのため新知・本知の内容はわからないが、おおむね「参州戸田文書」に残る目録と同様の内容だと思われる。

 さて、この2枚の起請文からは、家康の起請文の特徴の一端を知ることができる。

 起請文の料紙として用いられた牛王宝印は、熊野三山のものを使用するのが一般的であった。だが、東大寺や東寺、九州の戦国大名などは、熊野三山のものではない牛王宝印を用いた。徳川家康もまたそのひとりである。

「白山瀧宝印」と印字された和紙の護符

3 松平家康起請文 戸田甚平宛 永禄7年11月16日付 裏
右側に「白山」左側に「瀧宝」中央に「印」と印字されている

 家康は豊臣秀吉に臣従する天正14年(1586)までの起請文に「白山瀧宝印(はくさんりゅうほういん)」という牛王宝印を料紙として多く用いた。白山の馬場(登り口)の1つ美濃馬場におかれている長瀧寺にて発行されたものである。そしてその起請文の内容は家臣などへの知行宛行・安堵が多い。この料紙の選択の背景には、当時三河では白山信仰が盛んであったことがある。この時家康が起請文で領地を安堵した相手は、今川方や武田方から家康方へ付いた者たちであった。白山の牛王宝印を選択したのは、自身の信仰する神に誓うという意味だけではなく、起請文を請け取る相手の信仰に合わせ、その信用度を高める意図があったと考えられる。
 また、神文にも注目したい。神文に勧請される神仏は、梵天・帝釈・四天大王にはじまり「日本国中之大小神祗冥道」といったような包括的な表現をした後ろに、当事者の居住する地域の信仰する神名を列挙するのが通例であった。資料1、2は、まさに通例通りの書き方で、個別の神名に「富士・白山」を用いている。しかし、家康のすべての起請文が通例通りの書き方という訳ではない。家康は、今川氏など他家に仕えていた者が臣従する際の領地宛行・安堵を誓う際、また親しい間柄の者と取り交わす際には「富士・白山」を用いた。そして、上杉や北条などの他大名との盟約などで取り交わす際には、「伊豆・箱根・三島・八幡・天満」という5社の神名を用いたのである。この5社は御成敗式目に付いている起請文に勧請された神名であった。家康は普遍的に信仰のある5社の神名を用いることが外交文書においてはふさわしいと判断したのであろう。家康が相手や誓約内容によって神名を選んでいたことがうかがえる。

 今回紹介した2通の起請文からは、戸田家が家康方についた際の状況を直接うかがうことは難しい。しかし、起請文という現在にはない形態の誓約書の存在と、それを取り交わす者たちの信仰や政治的考えをうかがうことができる資料の1つなのである。

(亀井久美子)

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。

参考文献

 日本歴史学会 編『概説 古文書学 古代・中世編』吉川弘文館、1983年

 佐藤進一 著『新版 古文書入門』法政大学出版局、1997年

 千々和到「徳川家康の起請文」(『史料館紀要』31、2000年)

 中村孝也『徳川家康文書の研究 上巻』日本学術振興会、1980年

 岡崎市美術博物館『岡崎時代の家康文書』岡崎市、2015年

 『三英傑と名古屋:平成26年度名古屋市博物館特別展』名古屋市博物館、2014年