コレクション

博物館のお鍬祭りと招き猫

招き猫の造り物(参考展示物) 1体
大須大道町人祭ボランティアスタッフ制作
平成19年(2007)

常設展に展示されている巨大な張り子の招き猫の造り物。

常設展の招き猫の造り物

どうしてここに招き猫?

 常設展「尾張の歴史」には一匹の招き猫がいる。そして、“なんでここに招き猫?”と、たいていの人は思うようだ。もちろん、招き猫には解説パネルがあるのだが、来館者のSNSをみると、 単に“博物館に猫がいた!?”という感じで紹介されるケースが圧倒的に多い。
 筆者は、この招き猫制作に関わった一人でもあり、せっかくだから、“どうして、ここに招き猫があるのか”、一人でも多くの人に知ってもらいたいと常々考えている。
 そこで、招き猫制作から展示にいたるまでの博物館の取り組みを紹介したいと思う。この取り組みは、歴史を現在に伝え、未来へつなぐという、博物館だからできたものであったと、 筆者は考えているのだが…。それでは、物語の幕開けといこうではないか。

60年に一度の祭り

 招き猫に触れる前に、猫制作に至った背景から説明しよう。東海地方にはお鍬祭りという祭礼がある。五穀豊穣を祈念し、伊勢信仰と関連するもので、江戸時代には、 伊雑宮(いざわのみや)や伊勢外宮(げくう)の御師(おんし)が祭り流行に関与した。鍬形の枝をご神体(鍬神)として、これを村から村へ継ぎ送りすることで、流行は拡大していく。
 そして、この祭り最大の特徴は、およそ60年周期で流行することにある。尾張における流行は、天和2年(1682)、元禄16年(1703)、明和4年(1767)、文政10年(1827)、安政6年(1859)、 明治21年(1888)、昭和22年(1947)で、元禄、明和、文政、明治、昭和と約60年ごとに行われてきた。まさに“一生に一度”のお祭りといえよう。
 そして、昭和22年(1947)の次は、平成19年(2007)のはずで、“さてさて、どんな祭りになることやらと思っていたところ…”。実は、平成お鍬祭りが、招き猫誕生のきっかけになったのである。

文政10年(1827年)のお鍬祭りの図。大きなくじらの造り物をかついで練り歩く様子。

『御鍬祭真景図略』名古屋市博物館蔵

お鍬祭りって何だ?

 平成19年(2007)になって、お鍬祭り流行年を迎えると、開催地域で“何をすればいいかわからない”という壁が立ちはだかった。昭和22年(1947)から60年がたち、 科学の発達による記録媒体の変化や生活の変化、農業の衰退など、あまりにも大きな社会の変化が、祭りという伝統の伝達を困難にしたのだろう。
 それに先だって、博物館は、平成16年(2004)から猿猴庵の本『御鍬祭真景図略一〜二』を刊行し、文政10年(1827)の名古屋城下周辺のお鍬祭りを紹介した。さらに、 平成18年(2006)には、特別展「ええじゃないかの不思議」でも、お鍬祭りを取り上げた。そして、本や展示を見た人達から、“お鍬祭りは何をすればいいのか” という質問が博物館に寄せられるようになったのである。
 開催地域の悩みは、“資料が残っていない”ことで、“氏神の拝殿に小型の鍬があるが何かわからない”とか“鍬に昭和のお鍬祭りと書いてあって、 次回は60年後というが何なのか”といった質問から、祭りの実態がわからず困っている状況がうかがわれたのである。

博物館資料を活用せよ

 こうした地域の状況の一助になればと、博物館は、お鍬祭り再現イベントを企画する。『御鍬祭真景図略』には、文政10年(1827)のお鍬祭り行列に登場する踊り、 仮装、造り物などが詳細に描かれる。これをもとに鍬神を継ぎ送る行列を再現しようということだ。公立の博物館なので、正式の神事は執り行えないが、仮装や造り物、 お囃子などの行列は地域の参考になるはず。やるからには、規模も大きく派手な祭りがいい。
 そこで考えたのが、地域と連携してイベントを行う方法。結果、博物館の地元、瑞穂通商店街と、名古屋の都心で規模が大きい大須商店街との共催が実現し、 三者が行列を演出することとなった。実は、文政のお鍬祭りは大須(江戸時代の日置村の一部)でも開催されており、イベントは180年ぶりのお鍬祭り復活でもあった。
 瑞穂通商店街も大須商店街も、お鍬祭りに関する知識はゼロ。そこで、『御鍬祭真景図略』をテキストに勉強会を重ねて祭りの演出を考えた。博物館資料が地域の文化資源となり、 いよいよ平成19年(2007)9月30日の博物館でのイベント開催へと舵を切ったのである。

江戸時代のお鍬祭り行列の図。大きなおたふくの造り物とおたふくの仮装をした人々が描かれる。

博物館のお鍬祭りイベントチラシ

招き猫を造ろう

 祭り開催にあたり、参加団体ごとに行列の趣向を考えなければならない。博物館は、『御鍬祭真景図略』に登場するおたふくの趣向。おたふくの造り物とおたふくの仮装行列で博物館前の道路を練り歩くというもの。 瑞穂通商店街は生き神様役の理事長が金粉姿で乗る神輿と神官行列。大須商店街は東西二つに分かれて、タコと大クジラの造り物を制作した。
 さらに毎年秋に行われる大須大道町人祭のボランティアスタッフも祭り行列への参加を希望し、彼らが選んだ造り物が招き猫だった。ここで、ようやく招き猫の登場となるのだが、彼らが招き猫を選んだのには理由があった。 招き猫のモデルは、大須ふれあい広場に設置されているもので、招き猫は大須商店街の象徴なのだそうだ。招き猫は、“造るからには大きな物がいい”、“台車に乗せて、行列で引き回せるようにしたい” といった感じでアイデアがまとまり、いよいよ、制作へと進むのである。

名古屋市中区の大須ふれあい広場に設置された招き猫のモニュメント。

大須ふれあい広場の招き猫

みんなの知恵と技術を集めて

 招き猫の制作は、8月から9月にかけての毎週土曜日の午後、博物館に集まって行われた。初めに小さなペーパークラフトの招き猫の図面を拡大し、180㎝程度の大きさで組み立てる。とはいっても、素人の集まりなので、 展開図をくみ上げたものの、自重を支えられず倒れてしまう。そこで、常設展に展示中の籠細工の獅子を参考に、角材を組んだ芯を支えにして、展開図を組み立てた。形が決まると、上から新聞紙を貼り重ねて強度を増し、 最後に貼った白い紙に彩色するという張り子の造り物である。
 筆者も制作には、毎週欠かさず参加したが、ボランティアという、年齢も職業も全く異なる人々の集まりが、それぞれの得意分野で能力を発揮するという効果を生み出した。DIY好きな男性陣が、骨格などを組み、 女性陣が中心に猫の型紙を組み立てていく。それぞれの役割には、自然とリーダーになる者が登場し、彼らを中心に作業が進められた。仕上げの彩色は美術大学の学生が中心となり、招き猫はいよいよ完成となる。 猫を設置する台車は、ホームセンターで仕入れた部材を用いて、大須大道町人祭の実行委員たちが制作した。
 作業には、毎回10数名が参加したが、これだけの人数を収容する広い場所が必要で、博物館のトラックヤードが作業場となった。真夏の暑い日の中、冷房が効かないトラックヤードでの作業は体に負担も大きく、 作業終了後は、自然と博物館近くの居酒屋へ…。宴会部長というリーダーも登場して、次の作業の打合せもここで行われたのである。
 また、イベントに向けて衣装の検討も行い、招き猫チームでは、農業と関連する祭りから野良着案が採用された。大須商店街経由で古着を調達し、招き猫の前後を狐のお面をかぶった仮装で踊る。 三宝の上に張り子の宝珠を据えた小道具も登場し、うやうやしく持って進む演出は、『御鍬祭真景図略』の雰囲気を再現しようと考えられたものであった。

江戸時代のお鍬祭り行列で宝珠を担いだ狐の仮装行列。

日置村の稲荷きつねの趣向(『御鍬祭真景図略』より)

祭りの後には…

 9月30日のイベントは、地域ごとの行列の奮闘や、お囃子担当の熱田神楽の協力もあって大成功に終わる。最後は博物館玄関前で総踊りとなり、興奮冷めやらぬ熱狂状態となった。 イベントは尾張西部のお鍬祭り開催地域の人々が見学に訪れ、各地域のお鍬祭りでは、博物館でみられたような造り物、仮装、踊りで構成した行列が見られることとなった。

博物館のお鍬祭りイベントに登場した招き猫の造り物と大須大道町人祭のスタッフ

博物館のお鍬祭りイベントに登場した招き猫

 そして180年ぶりにお鍬祭りを体験した大須でも、神事を含んだお鍬祭り開催が決定し、10月19日、第30回大須大道町人祭の前夜祭で、盛大にお鍬祭りが開催されたのである。 もちろん祭りの余興である行列には、招き猫や博物館のおたふくも登場し、名古屋市博物館職員有志も大須商店街を練り歩くという地域間相互の交流が実現した。もちろん、 この祭りも各地のお鍬祭りの参考になったことはいうまでもない。

大須のお鍬祭りで商店街を練り歩く、大きなおたふくの造り物を持った博物館職員有志の行列

大須のお鍬祭りに参加した博物館のおたふく行列

 博物館や大須でのお鍬祭りは、博物館資料である『御鍬祭真景図略』を文化資源として活用したことで実現した。その成果の一つである造り物は、祭りを伝える貴重な情報である。 素材の耐久性などから、招き猫は恒久的に保存する博物館資料ではなく、参考展示物の扱いであるが、常設展来館者にお鍬祭りを伝える貴重な資源であることは間違いない。 令和5年(2023)からのリニューアル休館を機にその役目を終える予定の招き猫だが、“歴史を現在に伝えて、未来へと伝承する”、そんな重要な役割を常設展の招き猫は背負ってきたのだ。
 お鍬祭りの次の開催は、2067年。そして、招き猫を見た来館者は、次のお鍬祭りに是非是非、ご参加いただければと思うのだ。歴史資料を文化資源として活用し、 事業に参加することで歴史を未来へ繋ぐ役割を担う。そんな体験を皆様も是非…。2067年のお鍬祭りでお会いしましょう。それまで皆様お元気で。

 (武藤 真)

 ※『御鍬祭真景図略』は常設展示していませんのでご注意ください。

 ※その代わり、招き猫は、なんとなんと、令和5年(2023)9月までは、たいてい常設展におりますので見逃さずにご覧下さい。