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張月樵筆 関羽図―人気絵師の技とユーモア

椅子に腰かけて巻物を見る武将と背後に仕える人物

(本図版)張月樵「関羽図」館蔵

 『三国志演義』でお馴染みの英雄・関羽が描かれている。一騎当千の武神として名高いが、ここでは静かに座して手元の巻物を眺めているらしい。背後の人物は、その様子を何やらしかめ面で覗き込んでいる。鮮烈な彩色とアクの強い人物表現が目を引く作品である。三国時代の武将たちは、日本でも人気を集めたくさん描かれたが、今回は名古屋の人気絵師・張月樵の作例を詳しく見ていきたい。

張月樵について

 張月樵(ちょうげっしょう、1764~1832)は、江戸時代の後期、名古屋で活躍した画家である。近江国彦根で生まれ、京都に出て松村月渓(呉春、1752~1811)に師事した。寛政の中頃には、当地に拠点を移して制作をおこなっていたと思われる。円山応挙(1733~1795)が生み出した写実的な画風を基礎に、長沢芦雪(1754~1799)風の滑稽さを交えた画風が人気を博した。俳人や戯作者など幅広い文化人と交流を繰り広げ、尾張藩から御用も賜ったと伝えられる。城下や近隣の村々でおこなわれた祭礼の山車装飾も手がけるなど、多くの人々から愛された引っ張りだこの人気絵師であった。

読書をする関羽―最新の中国絵画の摂取

 江戸時代の中ごろ以降、日本の画家たちは次々と新しい様式に挑戦し、今までに無い刺激的な作品を生み出していく。その原動力となったのは、長崎や琉球を通じて輸入された明清時代の中国絵画であった。月樵も様々な中国絵画を貪欲に学び自身の様式に活かしていったと思われる。『三国志演義』等で著名な英雄を主題とする本作においても、濃厚な彩色やアクの強い人物表現にその影響を窺うことができるだろう。注目したい点は、関羽の姿である(部分図1)。本作の関羽は、腰掛けながら巻物を手にして静かに目を落としており、武神の猛々しいイメージは余り無い。関羽は儒教の注釈書である『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』を愛読したという伝説があり、清代以降、読書をする姿が多く描かれている。当時の日本では、福建の画家である馬元欽(ばげんきん)の描いた関羽像(参考図1)が広く流通しており、円山応挙の周辺でも参考にされた。月樵もそうした最新の中国絵画に基づいて本作の関羽像を形作ったと考えられる。

椅子に腰かけ手にした巻物に目を落とす関羽

部分図1 張月樵「関羽図」部分

椅子に腰かけ手に冊子を握る関羽

参考図1 大原東野 縮摸「馬元欽筆関羽之像」岡田玉山 編『唐土名勝図会』
巻五所収 名古屋市蓬左文庫蔵

張飛か?あるいは周倉か?

 それでは、関羽の背後にいるもう一人の人物はどうであろうか(部分図2)。本作は「関羽張飛図」として伝来したが、どうも張飛とは言えないようである。もちろん義兄弟のふたりは一組で描かれる事例もあるが、多くの場合、関羽と一緒に描かれた武将は周倉(しゅうそう)であった(さらに息子の関平が加わることもある)。周倉は、関羽愛用の武器である青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を持って、背後に仕える姿が一般的である。元々は黄巾の賊徒ということもあり魁偉かつ野卑な容貌、そしてツバ付きの帽子を被る姿が定番であった。本作の人物は偃月刀こそ持っていないものの、帽子は通例のそれであり、周倉と考えて良さそうである。静かに読書する関羽の背後で、つまらなそうに体を傾ける周倉が何ともおかしい。元となる中国絵画があったのか、月樵なりのユーモアなのかは不明だが、通例の姿とはやや異なる描写が、張飛という伝承を呼び寄せたのかも知れない。

しかめ面で手を前で握り体を大きく傾ける人物

部分図2 張月樵「関羽図」部分

月樵画の魅力―誇張とユーモア

 本作には、落款(らっかん)に年記があり文政10年(1827)、月樵63歳の時に制作されたことが分かる。絵師としての個性が確立して以降の時期であり、円熟味の増した月樵ならではの表現を見ることができよう。人物をかたどる輪郭線は、極太の筆線がギザギザと執拗に使用され、画面ににぎわいをもたらしている。周倉は先述したとおり、股を広げて大きく体を傾ける仰々しい姿勢で描かれることで、可笑しみを誘い出す。荒々しく大胆な筆づかい、動きを的確に捉えつつも誇張を加えた対象の姿かたちは、月樵画の特徴であった。文化14年(1817)、月樵画を集めて出版された画譜(絵手本)『不形画藪』では、そうした特徴を存分に堪能することができる(参考図2)。なお、こうした特徴は落款の署名にも現れており、荒々しい筆線が周倉の傾きに呼応しながら綴られている点も見どころであろう。

青龍偃月刀を片手に馬に乗り颯爽と駆ける関羽

参考図2 張月樵 絵『不形画藪』館蔵

色とりどりの絵の具で鳥を描き螺鈿装飾を表現する

部分図3 張月樵「関羽図」部分

 一方、細部における丁寧な描写も見逃すことができない。腰掛けた関羽の背後にある座屏(ざへい)は、黒漆で仕上げた上に、螺鈿(らでん)の技法によって花鳥の文様が施されているらしいが、貝殻がキラキラと輝く様子を工夫しながら丁寧に表現している(部分図3)。二人が身を包む袍(ほう)の文様も、金泥を用いて緻密に描かれる。関羽が座る虎の敷皮は、細い筆線で獣毛を描き、質感を巧みに表現する。確かな筆力で、目に鮮やかな装飾的画面を構築していることが理解できよう。人目を楽しませる華美さや奇抜さに、どこか間の抜けた面白さが加えられる。庶民から貴顕まで多くの人々に愛された人気絵師の魅力に溢れた佳作である。

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください

参考文献

吉田俊英『尾張の絵画史研究』清文堂出版、2008年

横尾拓真「近世名古屋の画家・張月樵について―略歴と画業」『名古屋市博物館研究紀要』40、2017年3月

高木文恵 企画、彦根城博物館 編集・発行『奇才の絵師 張月樵―彦根~京~名古屋への道―』2021年