コレクション

高蔵寺瓦窯(こうぞうじがよう)出土資料

瓦窯がつなぐ古代の尾張

いくつも重なった瓦片の写真

高蔵寺瓦窯出土資料(120-12)白鳳時代 館蔵

 尾張は古くからやきものの一大産地であったが、古代では寺院の瓦も重要な製品のひとつだった。

 春日井市高蔵寺町に所在する高蔵寺瓦窯は、大正15年(1926)頃に発見され、当時は古代寺院跡と認識されていた。昭和15年(1940)に愛知県史跡名勝天然紀念物調査会の小栗鉄次郎により古代寺院の瓦窯であることが確認された。小栗の記録によれば、塼(せん)と呼ばれる分厚い煉瓦を組み上げた長方形の窯体が残っており、その表面は熔解するなど、高温で焼成された痕跡がみられたという。

レンガ積みが見えている発掘現場を写した古い白黒写真

高蔵寺瓦窯 調査写真 昭和15年小栗鉄次郎撮影

 出土した瓦は、軒丸瓦と軒平瓦がそれぞれ2型式確認されている。これらの多くは、高蔵寺瓦窯の南西約9㎞の地点にある勝川廃寺で主に用いられたことが明らかになっている。

 高蔵寺瓦窯で作られた瓦のうち、珠文縁の複弁八弁蓮華文軒丸瓦(写真中央下)と同じ文様の瓦は、実は勝川廃寺だけでなく、西へ約18kmにある川井薬師堂廃寺(岩倉市)、同じく西へ約10㎞の観音寺廃寺(堂前廃寺とも。豊山町)などでも発見されており、現在確認されているだけで4か所の寺に使用されたことが分かっている。このように、ひとつの瓦窯から複数の寺院に瓦が供給されていたことが分かる例はそう多くない。当館常設展「尾張の歴史」テーマ4「古代の尾張」では、これらの瓦を一堂に展示しており(一部は複製)、容易に相互の比較ができる。ちなみにこの瓦は、藤原宮(奈良県橿原市、西暦694~710年)で用いられた瓦と同じ木型(笵(はん))で製作されたものであることが、藤原宮の発掘調査で明らかになった。塼積みの瓦窯自体も類例が少なく、藤原宮の瓦を焼いていた日高山瓦窯(奈良県橿原市)との共通性が指摘されている。高蔵寺瓦窯の操業時期も、藤原宮の造営からそう遅れない白鳳時代と推定される。

 このほか、高蔵寺瓦窯で焼かれた瓦には特殊なものもある。鬼瓦片のうち重弧文(じゅうこもん)と呼ばれる平行曲線のみで構成されたシンプルなもの(写真中央上部)は、実際に鬼面の表現が生まれる以前の古い形態である。一方、唐草文の鬼瓦片(写真中央)は、実は同窯で焼かれた唐草文軒平瓦の文様面をそのまま押し付けたもので、このような施文法も極めて珍しい。

 まだ仏教の影響が地方に浸透すると言うにはほど遠い時代、遙か大和の瓦笵(がはん)と職人が尾張に赴き、ここで瓦を焼いたのであろう。そしてここからいくつもの寺へ瓦が供給されるのだが、そこには必ずパトロン=寺の施主が存在したはずである。実際に大和から職人を呼び寄せ、配下の寺院に用いる瓦を焼かせたのはどんな勢力だったのだろうか。中央と尾張、そして尾張国内をつなぐネットワークの鍵を、この瓦窯の「瓦礫」たちは握っている。

(岡村弘子)

参考文献

梶山勝「春日井市高蔵寺瓦窯の再検討」『名古屋市博物館研究紀要』第6巻 1983年


名古屋市博物館 編集・発行『企画展 小栗鉄次郎 戦火から国宝を守った男』2009年

※本資料の一部は常設展テーマ4「古代の尾張」に展示しております。