コレクション

籠細工の獅子と『新卑姑射文庫』

獅子(博物館参考資料) 1体
岩田健一制作 平成19年(2007)
高215.0㎝ 幅140.0㎝ 奥行150.0㎝
館蔵

『新卑姑射文庫(しんひごやぶんこ)』 3編2冊
高力猿猴庵著・画 小田切春江転写
文政3~4年(1820~21)頃成立・文政8〜10年(1825~27)頃転写
縦24.6㎝ 横18.4㎝ 館蔵

竹で編んだ獅子が逆立ちする造り物。

常設展で展示中の獅子の籠細工

常設展に獅子がいる

 博物館常設展では、1体の動物造り物を展示している。青色で逆立ちしたこの動物は獅子であり、その愛らしい姿は子どもから大人までこの獅子、文政2年(1819)7月から9月にかけて名古屋城下南寺町の七寺(ななつでら)で興行された籠細工に登場した。 竹を編んで何かに見立てる籠細工は、当時大流行した見世物で、尾張藩士高力猿猴庵(こうりきえんこうあん)は、この様子を詳細に記録し、名古屋の見世物をまとめた『新卑姑射文庫』(しんひごやぶんこ)へと収録した。常設展の獅子は、この『新卑姑射文庫』に描かれた獅子を元に制作されたもので、『新卑姑射文庫』の記述とともにこの獅子を紹介したい。

『新卑姑射文庫』

 『新卑姑射文庫』は、第1冊に初編と二編を収録し、第2冊に三編を収める構成で、江戸時代後期、文政2年から4年にかけて 名古屋城下南寺町の寺院などで行われた見世物を図入りで解説している。タイトルの「卑姑射」は「日小屋」の意で、 何日かの興行を経て解体される仮小屋、見世物小屋を指す。見世物は、籠細工の他に動物や曲芸などが含まれ、江戸時代では芝居と並ぶ娯楽であった。 本書には、文政2年の猿の曲馬(柳薬師)、サンショウウオ(広小路)、文政3年の百人芸(広小路)、糸細工(大須観音)、蛇踊り(七寺)、 文政4年の貝細工(大須観音)など、動物、細工、寄席といった様々な興行が収録されている。
 常設展の獅子が登場した七寺の籠細工は『新卑姑射文庫』初編に掲載される。この籠細工は有馬(神戸市)の竹細工人によるもので、 これとは別に一田庄七郎(いちだしょうしちろう)という籠細工第一人者が、同じ時期に江戸浅草で興行をしていた。一田の籠細工は、 翌年に名古屋城下南寺町の清寿院(せいじゅいん・明治5年廃寺)で行われ、その様子は同書第二編に記されている。要するに、七寺の興行は、 有馬の竹細工人が一田人気に便乗したもので、本家が名古屋へ来る前に一稼ぎを目論んだものだった。しかし、 『新卑姑射文庫』に記された七寺の籠細工は、我々に当時の見世物小屋の様子を詳細に伝えてくれる好資料である。せっかくだから、 七寺の見世物小屋へ入るとしよう。

右に牡丹と獅子の籠細工、左に3羽のオシドリの籠細工を描く。

獅子とオシドリの籠細工(『新卑姑射文庫』より)

見世物小屋体験

 看板に記された籠細工見世物の木戸銭は18文。いまでいうと千円ぐらいだろうか。 小屋の正面に設置された招き人形の籠細工が、“さあさあ御覧下さい”と訴えかける。近くには客引きがいて、 引かれるままに屋台で札を購入する。札は木札で、いまでいうチケットだ。入口から小屋へ入ると一方通行となっており、 出口は別に設けられている。料金は前払い制で、いまでいう「お代は見てのお帰り」とは異なっていた。
 見世物小屋の最初は虫づくしの趣向で、ノミやシラミ、トンボにカマキリなどを子どもの背丈ほどに造っている。 貼り紙をして彩色しているので籠目はわからない。虫の後には、獅子、オシドリ、鳳凰、熊と続き、虎、鶏、牛、孔雀、烏、鹿、象が さらに続く。これらは六ツ目編み、なめし編み、網代編みといった技法で編まれ、竹を彩色した造りである。最後に待つのは、 この興行のご本尊ともいえる釈迦如来と仁王で、開帳よろしく「かごあみだぶつ」と拝んだ後は出口へと向かうのである。
 獅子は牡丹の中を舞う様で、能楽でおなじみの「石橋」の趣向だろうか。「桐と鳳凰」、「紅葉と鹿」のように 花札の組み合わせもあるようだ。江戸時代の人には馴染み深いのだろう。口上によれば、釈迦の弟子、籠ん尊者(かごんそんじゃ)の 母の体内に籠細工の獅子が入って尊者を身ごもったと説明しており、釈迦の来名にあわせて連れてきたのだという。 七寺籠細工の口上は駄洒落を駆使したおもしろいものが多く、猿猴庵は逃さず書き留めてくれた。“オシドリは3羽いるが、 2羽寄り添うほうがオシドリで、1羽だけは「オヒトリ」である。”“鳳凰の細工は、誰もみたことがないので似ているかどうかわからないが 見事である。”“孔雀は、1丈で造るはずが、1尺小さくなって9尺の鳥、すなわち孔雀だ。”という。 こんな調子で、猿猴庵が『新卑姑射文庫』に記録してくれたおかげで、我々は江戸時代の見世物小屋を楽しむことができるのである。

獅子の籠細工

 それでは常設展の獅子へと話を移そう。この獅子は、平成19年(2007)9月から11月にかけて開催された特別展「大にぎわい城下町名古屋」のために、 愛知県一宮市の人形工芸師の岩田さんが菊人形の構造を元に制作したものだ。菊人形は巻藁を編んで形成した胴殻を胴体として、菊の生花で飾り付け、 人形の頭や手足などを取り付けた細工人形である。この菊人形の胴体部分が、籠細工の構造に似ているので、岩田さんに制作を依頼した訳である。 通常、胴殻を制作するのは菊師の担当であり、菊師の仕事は胴殻への菊付けまでが含まれる。一方、頭や手足、小道具の制作は、菊人形師の担当である。 岩田さんは、人形工芸師なので、胴殻と頭のどちらも製作しており、菊師、菊人形師両方の仕事をこなしている。獅子は「大にぎわい城下町名古屋」展で人気となり、 展覧会終了後、常設展で引き続き紹介することとなったのである。
 当然ながら、獅子は『新卑姑射文庫』の図を元に制作され、岩田さんと名古屋市博物館の学芸員が打合せを重ねて作業を進めていった。 制作にあたっては、二次元の絵画を立体化しなければならない。角材の芯の回りに竹を籠目に編んで形づくって彩色し、尾やタテガミは竹ひごで装飾するのだが、 実物の制作前に発泡スチロールを削りだして彩色した10分1サイズの見本をまず作成し、これを元に形やバランスなどを調整していった。 実際に常設展で復元された籠細工をみると、手足のバランスなど、猿猴庵の図と違うように感じられるはずだ。これは、見本の段階で自立するようバランスをとったためで、 調整した結果である。この見本を元に、実物の制作へと移るのだが、展覧会前年の冬には作業を開始した。岩田さんによると、細工に用いる竹は冬に伐採しなければならず、 他の季節に採取すると、竹に虫が入って長くもたないそうだ。展示室に虫が入るのは、文化財保護を目的とする博物館では御法度なので、制作時期にゆとりを持たせたのである。 また、春から夏にかけては、秋に開催される菊人形展の準備で繁忙期となるため、冬場に制作となったのである。
 現在、獅子は常設展テーマ10の向かい側で来館者の皆様をお迎えしている。残念ながら、猿猴庵が『新卑姑射文庫』で描いた牡丹の造り物や、作品をおもしろおかしく解説する口上はいないのだが、 本稿とあわせて、ぜひとも、江戸時代の見世物小屋の雰囲気を楽しんでいただければと思っている。

 ※『新卑姑射文庫』は常設展示していませんのでご注意ください。

 ※『新卑姑射文庫 初編』は名古屋市博物館資料叢書3 猿猴庵の本 第3回配本(2002)として刊行しています。詳しくはこちらをご覧ください。