コレクション

鶏鼠物語絵巻貼付屏風
(けいそものがたりえまきはりつけびょうぶ)

詞書筆者・朝倉重賢、絵師未詳
金地着色、17世紀前半
本紙各縦150.9㎝、各横358.4㎝

広げられた屏風 

右隻

広げられた屏風 

左隻

資料概要

 「鶏鼠物語絵巻(けいそものがたりえまき)」を貼り付けた六曲一双屏風。本来は詞書(ことばがき)十七段、挿絵十六図で構成する上下二巻の絵巻であったと推測される。
類本は国内外に七点確認されるが、なかでも本作は詞書・挿絵ともに情報に富む。詞書は、十七世紀中後期に上方の絵草紙屋から注文を受けて奈良絵本や絵巻の詞書を多数担当した能筆家、朝倉重賢(生没年未詳)の初期の筆跡とみられるが(石川透氏によるご教示)、絵師については明らかでない。ただし均整のとれた姿態、背景のしっかりとした描き込みなどをみても正統な画業を積んだ絵師であろう。総じて十七世紀中頃に上方で制作された作と考えられる。

あらすじ

 『鶏鼠物語』は江戸時代前期に成立した御伽草子。鶏と鼠の争いが題材となっており、擬人化表現が愛らしく、また鳥獣をからめた言葉遊びが楽しい作品である。まずは、あらすじをみていこう。

 東の天下から洛中の民へ配られた米を巡って、鶏と鼠のあいだで争いがおこる。
 鶏雅楽頭(にわとりのうたのかみ)はお触れが出されたのが酉年であることを、鼠筑後守(ねずみのちくごのかみ)は今年が鼠年であることをもって、それぞれ取り分の正当性を主張して譲らない。見かねて蝙蝠式奉行(こうもりのしきぶぎょう)が仲裁に入るが話し合いは決裂する。

屋敷のなかで、着物をきた鶏と鼠、蝙蝠が向かい合っている

第四図 鶏と鼠の口論、それを仲裁する蝙蝠

 鶏は鳥類を、鼠は獣類を全国から京へ呼び集め、合戦の準備にとりかかる。鶏軍では土塊鳩之尉(つちくれはとのじょう)が櫓上に飛び上がり、「年寄りも来い、若いものもあとから来い!」と高らかに呼びかける。一方、鼠軍の城へも猪武者や野牛(柳生)大和守などが馳せ参じる。

馬に乗って駆けつける鎧を着た鳥たち、櫓の上に立つ鎧を着た鳩

第七図 櫓の上から軍勢へ呼びかける土塊鳩之尉

馬に乗って駆けつける鎧を着た獣たち、屋敷のなかの鎧を着た鼠

第九図 鼠軍の勢揃え

 開戦のまぎわ、蝙蝠式奉行と蛙三郎、毛虫の北条四郎がかけつけ、両者をなだめにかかる。

屋敷内で向かい合う鎧を着た鼠と蝙蝠、山中で向かい合う鎧を着た鶏と蛙、毛虫

第十三図 蝙蝠は鼠を蛙と、毛虫は鶏を説得する。

 蝙蝠たちの尽力あって両者仲直り。その証しとして和解の宴と歌合を催して、大団円を迎えたのであった。ときは寛永十三年(1636)八月下旬のことであったという。

屋敷内で着物をきた動物たちが楽器を持ち、扇を片手に鶏が踊る。

第十四図 和解の宴と鶏雅楽頭の謡

屋敷内で着物を着た動物たちが円座となっている

第十六図 歌合 

非現実と現実と

 最後には、すべてが夢であったことが語られるが、物語上の設定である寛永十三年(1636)は実際に「丙子(ひのえね)」年であり、同十年(1633)には江戸幕府から京へ米の配給があったことが確認される。この年がやはり「癸酉(みずのととり)」年なのであり、物語の舞台も鶏軍の陣が山城国烏丸に構えられるなどと、京都の実在する地名であらわれる。
 つまり鳥獣が人間のように言葉を話して戦うという非現実の設定に、ところどころ現実の世を重ね合わせているわけで、その差が当時の鑑賞者からすると面白味であったろうと思われる。

十二類絵巻の影響―酒づくりと腰蓑をつけた鷺―

 人間ではない異類が合戦に及ぶという物語(異類合戦物)は、中近世に盛行をみた。なかでも室町時代に成立したとみられる「十二類絵巻(じゅうにるいえまき)」は、同ジャンルの筆頭にあげられる存在。十二支が集う歌合で恨みを抱いた狸が、仲間たちを集めて彼らに戦いを挑むが、最後には敗れて出家するという内容で、現存作では十五世紀に制作された堂本家本(重要文化財、個人蔵)が最も古く、他にチェスター・ビーティー・ライブラリー所蔵本などが知られている。当時の貴族たちの間で流行していた言葉遊びが巧みに織り込まれた作品であるが、その影響が「鶏鼠物語絵巻」のそこかしこに見られる。

 「酒」はどうやって作る?
 といっても現実的な醸造方法をたずねているのではない。めでたく和解にこぎつけ、いざ宴の準備を整えようという場面の記述である。 あれ困った、酒の用意がない。どうしたものかとなった折のこと。
 「もろもろの鳥ども、すいへんに立ち寄れば、すなはち酒とぞなりにけり。」
  つまり、「酉」が「水」の偏「氵」と一緒になると「酒」のできあがりというわけ。そして、その酒を揚羽の銚子(揚羽蝶)に注ぎ、尺(酌)取虫に渡して和解の杯を交わすのである。 また、鶏軍では「くゐなのとさへもんあきとらの朝臣」が「御一門」として副将軍をつとめるが、それはクイナの漢字表記が「水鶏」であるから。この「水鶏」の一節は類本のなかで本作でしか確認できない記述である。

 こうした言葉遊びの趣向だけでなく、挿絵についても「十二類絵巻」の影響がうかがえる。もちろん、「鶏鼠物語」を絵画化する際、絵師が物語の設定を同じくする同作を参照しても不思議ではない。しかし類本のなかでも、本作はその引用ぶりが丁寧で、写し崩れが少ないことが特色として挙げられる。
 たとえば「十二類絵巻」に登場する腰蓑をつけた鷺は、本作において、向かって右を向くポーズもそのままに、同じような出で立ちで描かれる。これは和歌の世界で鷺と蓑が付合(つけあい)であることをふまえた中世以来のイメージである。ところが、他の「鶏鼠物語絵巻」では腰蓑をつけない鷺、あるいは鷺ではなく鶴へと変容してしまっている。

着物を着て腰蓑を着けた鷺が座って右側を向く

腰蓑を着けた鷺

 従来、「鶏鼠物語」が「十二類絵巻」をはじめとする異類物の系譜上にあることは指摘されているが、とりわけ当館が所蔵する本作は「十二類絵巻」との近縁性により、類本のなかでも初発性を保持しているといえる。ひるがえって「十二類絵巻」が江戸時代の文芸にどのように影響し、そして吸収されていったか、その展開を考えるにあたっても注目される。

※常設展示されていませんが、『名古屋市博物館研究紀要』43巻(2020年、名古屋市博物館)で全図影印、詞書翻刻を紹介しています。あわせてご覧ください。

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