コレクション

熱田区 高蔵1号墳の副葬品…7世紀の名古屋を統治した首長

〔基本情報〕

出土時期:1954年

遺  跡:高蔵1号墳(名古屋市熱田区高蔵町)

出土遺構:横穴式石室 河原石積み 全長10.2m

調査主体:名古屋大学考古学研究室

出典文献:楢崎彰一1955「名古屋市熱田区高蔵第1號墳の調査」『名古屋大学文学部研究論集Ⅺ・史学4』、名古屋大学文学部

 高蔵1号墳は、古墳時代後期(7世紀前半)に築造された直径約18mの円墳。かつて熱田区高蔵町の高蔵公園内にあったが、昭和29(1954)年に名古屋大学考古学研究室が発掘調査を実施した後、破壊されて滅失した。高蔵公園内および隣接する高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)境内に分布する3~6号墳とともに高蔵古墳群を形成する。
 出土品には、多量の須恵器(すえき)や土師器(はじき)のほか、ガラス丸玉(まるだま)、金銅装大刀(こんどうそうたち)、金銅製耳環(こんどうせいじかん)、鉄製釣針(てつせいつりばり)、鉄鏃(てつぞく)などの副葬品(ふくそうひん)がある。また、木棺(もっかん)を留める鉄釘(てつくぎ)が出土している。これらの副葬品は質・量ともに7世紀の濃尾地方ではトップクラスの内容である。7世紀の古墳としては規模が大きいことも合わせると、名古屋台地を統率するクラスの有力首長層を被葬者とする古墳であると考えられる。

焼き物15点の写真

高蔵1号墳出土 須恵器・土師器

耳飾りやガラス玉、武器、釣針の写真

高蔵1号墳出土 装身具・鉄製品(一部)

 埋葬施設は全長10.2mに及ぶ大型の横穴式石室であり、河原石の長楕円形礫(ちょうだえんけいれき)を大量に積み上げて構築されていることに特徴がある。石材となる河原石を大量に調達できる場所が熱田近辺に求められず、木曽川中流域(各務原市~一宮市一帯)の首長墳と石積み技術・石室形態が共通することから、高蔵1号墳の築造には木曽川中流域の石工集団(せっこうしゅうだん)が直接関与した可能性が高い。副葬品に鉄製釣針があることや、水上交通の拠点である熱田という立地を考慮すれば、高蔵1号墳の被葬者に統率された7世紀の名古屋台地の集団は海・河川の水上活動に深く関与し、伊勢湾沿岸および濃尾平野の内陸部とのネットワークを掌握していたと考えられる。横穴式石室の築造にあたっては、そのネットワークを通して木曽川中流域の集団から物資・技術・工人の提供を受けたのである。
 7世紀において、地域間・集団間の広域ネットワークを形成し、名古屋台地を統治する首長層の姿を具体的に示す古墳の副葬品としてきわめて重要である。

※本資料は保存処理中のため常設展示しておりません。あしからずご了承ください。