コレクション

奈良絵本『源氏物語』

 奈良絵本は、室町時代後期から江戸時代前期にかけて制作された彩色の絵入り本である。御伽草子など中世に成立した物語を題材としたものが多く、平安時代の古典文学である『源氏物語』を描いた作例は珍しい。
 『源氏物語』は全54帖であるが、当館ではそのうち第22帖「玉鬘」と第36帖「柏木」の奈良絵本を所蔵している。本資料と一具であったと思われる「絵合」、「明石」、「松風」、「朝顔」、「野分」、「行幸」が確認されており、もとは54帖すべてが制作されていたようである。
 濃紺地の表紙には、金の切箔(きりはく)や野毛(のげ)が散らされ、金泥で草花や蝶が緻密に書き込まれている。挿絵の上下に配された霞(かすみ)にも、金の切箔が散りばめられた豪華な作りで、大名や豪商の娘の婚礼調度(嫁入道具)として制作されたと考えられる。絵は稚拙ながらも、素朴で味わい深い魅力がある。
 奈良絵本は、寛文から延宝年間(1661から1681)頃に制作が盛んになることが指摘されているが、本資料もこの頃の成立と考えられる。

開いた本と閉じた本

奈良絵本『源氏物語』

挿絵の典拠

 奈良絵本『源氏物語』の挿絵は、『源氏物語』における最初の挿絵入り版本『絵入源氏物語』を参照したようだ。『絵入源氏物語』は、京の蒔絵師山本春正(やまもとしゅんしょう 生没年:1610から1682)が編集し、はじめ慶安3年(1650)に刊行するが、その後も改版されながら刊行され、承応3年(1654)版が最も流布した。承応3年版『絵入源氏物語』と『奈良絵本源氏物語』の絵を比べてみよう。

赤子を抱いた男性と女性たち

承応3年版『絵入源氏物語』「柏木」

赤子を抱いた男性と女性たち

奈良絵本『源氏物語』「柏木」

 画像は、薫(かおる)の五十日(いか)の儀の場面である。薫は源氏の子として育てられるが、本当は源氏の正妻女三宮(おんなさんのみや)と柏木(かしわぎ)の子であった。
 どちらの挿絵も、画面の中央付近に赤子の薫を抱いた源氏を描き、その対面に二人の女房を配する。源氏たちの隣の部屋には女三宮がいるようだが、姿は几帳(きちょう)と障子で隠され、開いた障子の隙間から装束の袖口をのぞかせることで、その存在を暗示するに留める。
 よく似た構図の挿絵であるが、詳細に見ていくと違いがある。奈良絵本『源氏物語』では、源氏は建物の縁(えん)の近くに座り、背後には草花が配された庭が広がるが、『絵入源氏物語』では、源氏の背後には別の部屋が続いている。これは、他の場面の絵でも同じ傾向が認められ、奈良絵本『源氏物語』では、『絵入源氏物語』で室内の光景として描かれる場面も、外に続く空間として描き直している。絵を改変した理由は明らかでないが、室内の光景が続くことで、挿絵の色彩が単調になるのを避けるために、このような工夫をしたとも考えられよう。
 次に、薫に注目してみよう。『絵入源氏物語』では、細長(ほそなが)とおぼしき産着にくるまれた薫の顔は、正面に近い向きで描かれ、その顔を源氏が覗き込んでいる。一方、奈良絵本『源氏物語』では、薫は幼い子どもが着る衵(あこめ)を着用し、髪は『絵入源氏物語』より長く描かれ、成長した姿のように見える。薫の顔は横顔で描かれ、源氏は正面から薫の顔を注視しているかのようである。

赤子を抱いた男性

承応3年版『絵入源氏物語』「柏木」部分

赤子を抱いた男性

奈良絵本『源氏物語』「柏木」

 物語には、薫を見た源氏が、心なしか柏木に似ていると思ったという内容が記される。奈良絵本『源氏物語』では、薫を成長した姿で描き、さらに源氏が薫の顔を見ていることをわかりやすく描き出すことで、柏木に似ていると思った源氏の心情を、読者が絵からも読み取れるようにしたのかもしれない。

 近年盛んになってきた奈良絵本研究の一材料として、また江戸時代に『源氏物語』の図様がどのように流布したのかを考える上でも、本資料は重要である。

(藤田紗樹)
館蔵(555-114) 写本 列帖装 縦24.0cm×横17.8cm
江戸時代前期《寛文から延宝年間(1661から1681)》

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。