下之一色漁業資料 伊勢湾奥部の海と漁の記憶
伊勢湾の最奥部に位置する名古屋港は日本有数の貿易港であり、物流の拠点として地域の発展を支えている。現在のように、巨大な港湾設備が整備された名古屋港からは想像することが難しいが、昭和30年代末までは沿岸部では漁業が行われていた地域もあった。
名古屋市や海部地域で行われた漁業の多くは、農閑期の海苔養殖や貝とりであり、漁業をしていた人は「百姓漁師」と呼ばれることもあった。多くの地域では農業が主体であったが、熱田や中川区下之一色のように漁業専業者が多い地域もあり、漁業だけでなく水産物の加工や販売も盛んに行われた。特に下之一色では、漁業権を放棄した昭和30年代後半まで漁師町として発展し、伊勢湾奥部の漁業の中心地であった。
名古屋市博物館では下之一色の漁業に関する資料1000点以上を所蔵しており、下之一色の漁の特徴と漁業資料の概要を紹介する。
下之一色漁業資料
下之一色の漁師が漁に出たのは伊勢湾内であり、現在は埋め立てによって陸地となっている名古屋港付近や鍋田沖など、特に湾奥部で様々な漁が行われた。数十人で行う大規模な漁から家族単位で行う小規模な漁まであり、漁法の数は30種類ほどになる。このように多くの漁が繰り広げられたことは、湾奥部の特徴的な環境と関係がある。
伊勢湾奥部は大小様々な河川が流れ込み、淡水と海水が混ざる汽水域であった。それぞれの川先には干潟が広がり、下之一色の主要な産物であった貝やウナギがとれた。腰のあたりまでの深さの海に入り、「地がき籠」という籠で貝をかきとったり、ウナギをとるわなを仕かけた。また、干潟では牡蠣や海苔の養殖場も設けられた。
干潟から沖へ進むと、少しずつ水深が深くなる。海底の地質は砂地なので、船を使って貝やエビをとった。エビの種類によって漁法が異なり、潮の流れを利用して網を流す「流し網」では、袋状の網の下部で、クルマエビやモエビ、海底にすむキスやカレイなどのソコザカナをとらえた。
さらに沖に進むと急に深くなる場所があり、海底の地質が砂地から泥地と変わる。貝やエビは少なくなるが、ボラやセイゴなどウキザカナのかたまり(群れ)が大きくなり、揚繰網などの大きな網で中層から上層を泳ぐ魚をとった。
下之一色の漁は、水深の浅い伊勢湾の中で特に汽水域を中心に展開した。浅海の多様な環境に応じて様々な漁が行われてきたので、多くの漁具が残されている。
貝とりの道具
流し網の下部
名古屋市博物館が所蔵する下之一色漁業資料は、収集の時期から三つのグループに分けられる。昭和60年(1985)に受贈した約100点の資料は、網などの漁撈具、加工具や販売用具が含まれる。その後、平成13年(2001)に下之一色の元漁師、犬飼一夫さんが中心となって元漁師の方々が集めた資料800点以上を受贈した。種類や数量が多く、下之一色漁業資料の核となるものである。平成29年(2017)には博物館明治村から約150点の資料を受贈した。昭和40年代に下之一色から明治村へ寄贈された資料であり、古い時代の漁具も含まれ、良好な状態で保管されていた。
これらの資料は数量が多く多岐にわたるので、概要を示すため種類ごとに分けて表にまとめた。
分類 |
内容や具体例 |
---|---|
漁撈用具 |
網漁の道具、延縄漁の道具、貝やウナギをとる道具 |
海苔養殖用具 |
海苔網、海苔すきの道具、海苔を干す道具 |
船上用具 |
船付属品(櫂、櫓)、タモ、水がめ |
運搬・販売用具 |
籠、箱、桶、はかり、行商用具 |
加工・処理用具 |
貝の身をむく道具、魚をさばく道具、干物を作る道具 |
製造・修理用具 |
網を作る道具、糸をつむぐ道具、漁撈具や船を修繕する道具 |
その他 |
衣類、信仰、社会生活 |
模型・再現資料 |
各種漁法の模型 |
下之一色の漁の模型
青峯山の旗と札
海苔すきの道具
下之一色漁業資料は、汽水域を中心とした浅海の漁業資料である。漁業が行われ、海産物が流通したことを示し、生活の中で海とのつながりがあったことが分かる。一つ一つの資料をみると、浅海の環境に応じて漁業が展開したことが分かる。かつてこの地域で行われた漁業に関する資料として、また漁業をめぐる自然環境や社会の変化を示す資料として活用していきたい。
(長谷川洋一)