コレクション

ふうりゅうれんりのたまつばき
風流連理玉椿

遊郭の様子を描いた和本の挿絵

『風流連理玉椿』上巻より、名古屋の遊郭を描いた挿絵

 享保18年(1733)、尾張藩7代藩主徳川宗春治世下の名古屋城下、闇森(くらがりのもり)で起こった心中未遂事件を題材にした浮世草子である。江戸時代、名古屋を舞台にした小説は少なく、現在確認されているもので30に満たず、しかも、ほとんどが写本でしか伝わっていない。刊行されたものは、本書と同じく宗春治世下の名古屋の遊郭を舞台とした『ふたつさかづき』や、十返舎一九『東海道中膝栗毛』で人気者となった弥次と北八が名古屋を見物する『名護屋見物 四編の綴足(とじたし)』が知られるが、数件に過ぎない。その中で、本作品は、江島其磧作、八文字屋自笑(八右衛門)板という当時としては京都を本拠とするメジャーな出版社による有名作家と出版編集者の手になるものであった。

 質素倹約をスローガンに享保の改革を推進していた八代将軍吉宗の政策に対し、宗春は、真っ向から対立する財政緩和、消費拡大政策を推進した。これによって緊縮政策で火の消えたような三都に比べ、名古屋城下には、遊女、芸人、役者から大小の商人まで、全国から人が集まり、城下は当時日本一といわれる活況を呈したのである。

 闇森(中区正木)は、宗春が公認した葛町(かずらまち)遊郭と西小路遊郭に隣接する八幡社の境内である。享保18年11月下旬(一説には夏頃)飴屋町花村屋の遊女小さんと日置村畳屋喜八の心中事件が発生し、たちまち評判となった。心中は未遂に終わり、入牢後、翌年2月、牢屋敷前に3日間さらされた後許されて、2人は夫婦となって暮らしたという。当時としては軽すぎるともいえる寛大な裁きも評判の一因となった。

店先で立ち話をする男女の絵

主人公の伊八とおさん
本書では畳屋喜八は「伊八」、花村屋の小さんは金村屋の「おさん」として描かれる。

 ちょうど名古屋に来ていた豊後節の祖宮古寺豊後掾(みやこじぶんごのじょう)は、この事件を題材に、翌享保19年1月、新作浄瑠璃「睦月連理玉𢢫(むつきれんりのたまつばき)」を黄金薬師の境内(現中区円輪寺)で上演し、「広小路が狭小路になり」といわれるほどの大当たりをとった。評判は、江戸、上方にも聞こえ、翌年には江戸中村座でも上演されて、これも大当たりとなり、常磐津、清元、新内などにつながる豊後節の大流行を招いたほどであった。

 「睦月連理玉𢢫」の初演から約1年後、これを浮世草子に仕立てたのが『風流連理玉𢢫』である。豊後節が発端から道行までで終わっているのに対し、浮世草子はほとんどが心中の後日談である。

 事件の後、駆け落ちした2人は、事の発端となった紛失した刀を取り戻すため、男は京の島原に、女は江戸の吉原で遊女となって探索するが、やがて男も江戸へ行く。さらに2人は、大坂へ行き、大坂の新町を舞台に刀を取り戻し、悪人を捕らえ、最後は2人して名古屋へ帰って、夫婦となり、家業繁栄してめでたしめでたしという筋立てである。

 実は、上中下3巻の内、名古屋が舞台となるのは上巻のはじめと下巻の最終章で、全体の約3分の1にすぎない。当時注目の名古屋と京島原、江戸吉原、大坂新町など三都の有名遊郭を舞台として巧みに織り込んで、東西の読者を満足させるべく脚色されたヒットメーカーの作品といえそうである。

 当時は話題を呼んだ出版であったろうが、現在他に所在が確認されている諸本は、京都大学図書館本、蓬左文庫本(尾崎久弥コレクション)、天理図書館本と少なく、市場にでることも極めて稀な貴重書である。

 本書は、1冊のみの端本だが、名古屋を舞台とした上巻である。本来上巻は、目録・序・本文あわせて16丁半(33ページ、1丁が2ページにあたる)だが、後半の挿絵を含む1丁分の落丁がある。蓬左文庫の所蔵本は、3巻揃いではあるが、上巻のはじめ4丁と下巻の最後2丁が補写で、上巻の名古屋の遊郭を描いた挿絵(写真)が抜けている。本書により、上巻の補写部分と欠落している挿絵を補うことができる。

(桐原千文)
風流連理玉𢢫 上巻 1冊 館蔵(555-117)
江島其碩作 八文字屋自笑編 享保20年卯3月吉日 八文字屋八衛門板
横本 縦15.3㎝ 横22.8㎝

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。