コレクション

尾張元興寺の瓦

ハスの花の模様をほどこした灰色の軒丸瓦の写真

素弁蓮華文軒丸瓦 尾張元興寺出土 館蔵

複数の筋による模様をほどこした灰色の軒平瓦の写真

簾状押引重弧文軒平瓦 尾張元興寺出土 名古屋市教育委員会蔵

ハスの花に唐草風の模様をほどこした灰色の軒丸瓦の写真

忍冬蓮華文軒丸瓦 尾張元興寺出土 名古屋市教育委員会蔵

 尾張元興寺(がんごうじ)は、現在の金山総合駅から西へ数百m、商業ビルが建ち並ぶ市街地の一角に、今から1300年以上前に建立された古代寺院である。熱田台地の西側縁辺に位置しており、創建時は干潟や伊勢湾をのぞむ立地であったと考えられる。発掘調査は十数回にわたり行われているが、直接伽藍に関わる遺構は発見されていない。

 出土瓦の形式は、最も古く数も多いのが、素弁(そべん)蓮華文軒丸瓦(写真1)と簾状押引重弧文(れんじょうおしびきじゅうこもん)軒平瓦(写真2)のセットである。いずれも畿内の初期寺院の影響をうけた文様構成であり、これらが創建時の瓦であろう。創建年代は7世紀中頃から後半とされており、尾張最古の寺院といえる。また、『日本記略』には、元慶8年(884)8月に尾張国分寺が焼失した際、「愛智郡定額願興寺(あいちぐんじょうがくがんごうじ)」を「国分金光明寺(こくぶんこんこうみょうじ)」としたとあり、この願興寺が尾張元興寺に比定されている。このことから、尾張元興寺は9世紀末には国分寺の役割を担うほど重要な位置づけをされていたと考えられる。

 さて、この尾張元興寺跡からは興味深い瓦が出土している。忍冬蓮華文軒丸瓦(写真3)と呼ばれ、尾張元興寺跡からは創建瓦に次ぐ量で見られるものだが、ここ以外では全国でもほとんど例を見ない。忍冬文様はパルメット文様とも称されており、蓮弁の中に扇状に広がる葉のようなモチーフをあしらったこの瓦は、同時代の他の軒丸瓦と比べても華やかで目をひく。この特徴的な文様とよく似た軒丸瓦が、昭和61年(1986)に大阪府羽曳野市の野中寺(やちゅうじ)で出土した。野中寺は飛鳥時代創建と伝えられる古代寺院で、渡来系氏族による建立が想定されている。調査の結果、軒丸瓦は尾張元興寺のものと同じ木型(笵)で成形されたもので、しかも笵疵(きず)の前後関係により、野中寺の瓦が先に作られ、その後尾張元興寺の瓦が制作されたことも明らかになった。

 当時の瓦は、一般的に使用地の周辺で制作されていたとされるが、尾張元興寺の瓦は畿内の製作技法を用いているものが多い。このことから、笵が何らかの事情で工人とともに尾張に移動し、元興寺の瓦制作に用いられたと考えられる。渡来系氏族と関連をもつという野中寺の創建や元興寺の立地を合わせみると、両者をつなぐ交流の背景には、尾張地域で畿内と交易や政治でつながる基盤をもつ豪族の存在が浮かび上がってくるのである。

※本資料は常設展テーマ4「古代の尾張」に展示しています。