コレクション

三十六歌仙書画色紙帖―小松屋酒井家本帖より―

 平成29年度、名古屋玉屋町(現中区錦)にあった商家小松屋酒井家より、四代目酒井平兵衛以降、随時収集した書画類・茶器類を受贈した。その中から、江戸時代に婚礼などの折に誂えられた調度品と思われる「三十六歌仙書画色紙帖」を紹介する。

左に衣冠束帯姿の男性、右に筆書きの和歌が書かれた色紙

三十六歌仙書画色紙帖より紀貫之 鷹司兼煕筆

 この作品は、平安中期の歌人藤原公任(ふじわらのきんとう)が撰んだ『三十六人撰』に基づき、三十六歌仙の和歌と絵姿を交互に配したものである。見開きを一組とし、歌仙の姿絵と和歌色紙を左右に貼り込んでいる。左右の位置は一定していない。

 本帖は、折帖と呼ばれる製本形式で仕立てられており、表紙には牡丹唐草模様の金襴を使用。台紙は金銀箔で装飾された厚紙を用いている。

 絵は絹本に描かれている。人物の表情や着物の描き方からみて、土佐派の絵師によるものであろう。なお、本帖には昭和5年(1930)に鑑定家古筆了任(こひつりょうにん・1875~1933)が極めた折紙(鑑定書)が付されており、これよると、土佐光祐(1675~1710)の手と伝わっている。

 和歌は、金泥による霞引きや金箔の雲形の装飾が施された料紙に書かれている。筆跡をみると、線の肥痩や文字の大小の変化の様子から、およそ江戸中期ごろの書風と見受けられる。さらには、それぞれ異なる筆跡であることから、一人一首ずつ担当して書いた寄り合い書きであると思われる。

 和歌の右上には、鑑定家古筆家第五代了珉(1645~1701)の極札(鑑定書)が付されており、筆を執ったとみられる36名の公卿・親王の名が書かれている。

 歌仙の筆頭、柿本人麻呂は、江戸中期宮廷内で権勢をふるっていた近衛基熙(このえもとひろ・1648~1722)。紀貫之には、霊元天皇と東山天皇に仕え、関白にまで昇り詰めた鷹司兼熙(たかつかさかねひろ・1660~1725)の名が見える。その他、霊元天皇と親交が深く歌道に通じていた中院通躬(なかのいんみちみ)、書流の一派持明院流の流れを組む名家出身の持明院基時(じみょういんもととき)の名もある。

 鷹司兼熙は、本帖のみならず、江戸時代を代表する絵師が描いた絵画に付されている和歌賛を数多く書いている。今回は、住吉具慶筆「定家十二ヵ月花鳥図屏風」(高津古文化会館蔵)の和歌賛など、兼熙の筆跡と断定できる本帖と比較した。文字の造形的な特徴などを見て検討したところ、概ね兼熙の筆跡と思われた。

 他の公卿・親王の筆跡も兼熙同様、可能な限り本人と認められている筆跡との比較を試みた。極札に書かれた人物名と和歌色紙の筆跡はほぼ合致していると見てよいことから、この極札の信ぴょう性をそれほど疑う必要はないだろう。

 次に極札に書かれている人物の生卒年から制作年代を考える。最も遅く誕生したであろう二条綱平の生年寛文12年(1672)から、最も早く逝去した梅園季保(うめぞのすえやす)の卒年元禄4年(1691)の間に制作されたことがわかる。加えて、極札裏面に記載された了珉の鑑定年が元禄4年(1691)であることからみても、江戸中期に制作されたものとみなせる。

 制作当時の宮廷や文化の最先端を担う人物が携わっていることが、上記の事象により認められる本帖は、今後、他の同時期の作例の筆跡を考究していく上で活用が期待できる。

 

(星子桃子)

※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。