コレクション

犬山市入鹿池遺跡の石器

 1977年10月に開館した名古屋市博物館は1年後の1978年10月に常設展「尾張の歴史」を開設した。その開設時から入鹿池遺跡の後期旧石器時代から縄文時代初頭に属する石器-ナイフ形石器、木葉形尖頭器、有舌尖頭器などを展示させていただいていた。これらの石器は開設以来40年にわたって拝借していたのだが、このたびご寄贈いただき、当館の収蔵資料となった。この機会に当館収蔵の入鹿池遺跡出土資料を紹介することにしたい。

 入鹿池は、愛知県の北西部、犬山市に所在する寛永10年(1633)に人工的につくられたかんがい用のため池である。面積1,521km2、周囲16km、貯水量15,188km2は、かんがい用ため池としては香川県にある満濃池に次ぐ規模である。

 池がつくられる前には、小規模な河川が何本か流れ込む谷あいの集落、入鹿村があり、河川が1本にまとまる場所であった。周囲は、古生代から中生代に形成されたチャートや砂岩・粘板岩などの堆積岩からなる美濃帯に属する標高200m前後の山々に囲まれている。水面の標高は85m、水深はもっとも深いところで20mほどという。

中央に大きな池、周囲に山々が広がっている地形図

入鹿池遺跡と周辺の地形

 遺物は池に向かって張り出す舌状の台地およびその上方の斜面から採集されている。満水時には水没する台地もある。採集された石器が使われていた後期旧石器時代や縄文時代には遺物採集地点は川を見下ろす高台に位置していたことになる。

 これまで、8か所の採集地点が知られている。遺物はチャートや砂岩などの角礫が散らばっているなかに散布していたといい、本来、近辺の土層に含まれていたものが池の水が増減することによって洗い出されたものと推定されている。

大きな池を写した航空写真

入鹿池遺跡周辺の航空写真。池の水がかなり引いているときに撮影されたもの。

 遺跡の発見は比較的新しく、1970年頃、博物館明治村の下にあたる台地上で磨製石斧が採集されたことによって知られるようになった。

丸みのある長方形の石の写真

入鹿池遺跡発見のきっかけとなった磨製石斧。

 それ以降、入鹿池遺跡は「石器が拾える場所」として知られるようになっていったようで、多くの人々が訪れた。

 入鹿池遺跡は愛知県下でもっとも規模の大きな後期旧石器時代遺跡のひとつと目されている。入鹿池遺跡の名を知らしめたのは、常設展開設のときから展示させていただいていたナイフ形石器、木葉形尖頭器、有舌尖頭器など後期旧石器時代から縄文時代草創期を代表する石器が、1977年に紹介されたことによる。これによって後期旧石器時代遺跡の遺跡としてのイメージを強く持たれるようになったと思われる。しかし、もっとも多く採集されているのは石鏃や打製石斧など縄文石器である。

後期旧石器時代の石器

ナイフ形石器

 ナイフ形石器は素材の剥片のままの鋭い縁辺を残して加工される石器で、後期旧石器時代の代表的な石器である。入鹿池遺跡にはナイフ形石器が使われていた各時期のものがあるようだ。

尖った石が8個並んでいる写真

入鹿池遺跡採集のナイフ形石器。

木葉形尖頭器

 木葉形尖頭器はナイフ形石器が使われている時期の後半に現れる。関東地方や中部高地では木葉形尖頭器を主体とする時期があるが、東海地方でははっきりしていない。

入鹿池遺跡では、両面加工の木葉形尖頭器にはややずんぐりとした幅広のものと幅の狭い細身のものとがある。裏面に主剥離面を多く残す片面加工のものもある。

菱形の石が5個並んでいる写真

入鹿池遺跡採集の木葉形尖頭器。

細石核

 後期旧石器時代の終末近くになると長さ2〜3cm、幅0.5cm程度の細石刃と呼ばれる小さな石器が現れる。木や骨などの柄に溝を切って何枚かの細石刃をはめ込んで一つの道具とするものである。その細石刃を剥離した石核が細石核である。

菱形の石が5個並んでいる写真

入鹿池遺跡採集のナイフ形石器・石核・細石核。
写真の左2点が細石核。右3点はナイフ形石器、中央はナイフ形石器の素材となる縦長剥片を剥離した石核である。

縄文時代の石器

石のやじりがたくさん並んでいる写真

入鹿池遺跡採集の石鏃など。

 縄文時代の石器には、石鏃・石匙・石錐・スクレイパー・打製石斧・磨製石斧など多くの種類がある。入鹿池遺跡ではなかでも石鏃が多く採集されている。石鏃の形態を見ると、縄文時代初頭から終末あるいは弥生時代に至るまでの各時期のものがあるように思われる。

05_縄文石器(川口氏).jpg

入鹿池遺跡の石鏃・石錐・石匙・スクレイパー

長方形の石が5個並んでいる写真

入鹿池遺跡採集の打製石斧

剥片石器の石材

 後期旧石器時代に用いられている石材のほとんどはチャートである。えんじ色や黄土色を呈するものが目立つ。

縄文時代の石器にもチャートが多用されているが、灰色に風化した下呂石も多く見られる。下呂石は縄文時代半ば以降、愛知県内の遺跡でも多用されるようになるのだが、入鹿池遺跡にも下呂石を好む波が押し寄せていたのであろう。

おわりに

 後期旧石器時代初頭から縄文時代への移行期の石器が採集されている入鹿池遺跡は愛知県、あるいは尾張地方の先史遺跡として重要である。縄文時代については、縄文土器がほとんど見られないために詳細なことがわからない。県内各地に石鏃のみが採集できる遺跡がいくつか知られていて、当時の狩り場であったのではないかと言われることがある。入鹿池遺跡も土器のないことを積極的に評価するならば、そのような位置づけも可能であろう。

(川合剛)

参考文献

紅村弘・増子康眞ほか 1977 『東海先史文化の諸段階(資料編I)』
水野裕之 2000 「入鹿池遺跡の旧石器資料」『愛知県史研究』第4号 愛知県
長谷川寅二・川口俊文・中島皓之 1972 「犬山市入鹿池中の遺跡と石器」『古代人』24 名古屋考古学会

※本資料は一部(後期旧石器時代の石器)が常設展示されています。