コレクション

壷型の茶色い土器の写真

壷 1点

丹羽郡大口町西浦遺跡出土

弥生時代前期 愛知県指定文化財

高さ 41.8cm 口径 21.0cm 胴径 35.0cm 底径 7.4cm

丹羽郡大口町 今枝敏子氏寄贈

 球形の胴部に、口縁部近くで若干開く内彎気味の頸部が付く壷形の土器である。

 口縁部のすぐ下の部分に棒状工具による押圧を加えた太い突帯が巡り、器面全面に横方向の条痕が施されている。

 この土器は、1950年代に大口町在住の民間考古学者、今枝日出夫氏によって多くの土器片や打製石斧とともに採集された。1967年3月に「西浦の条痕文土器」として愛知県指定文化財となっている。

 西浦遺跡は大口町余野字西浦に所在する。尾張平野のもっとも奥の部分にあたり、木曽川によって形成された扇状地上に立地している。標高はおよそ25mである。この土器が発見された後の1965年には一宮考古学会によって発掘調査が実施されている。表土層の下におよそ10cmの厚さの黒色シルト層があり、この層から土器や石器の遺物が出土したという。住居跡などの遺構が確認されていない。出土した土器は、この土器と同じ条痕文系の壷および深鉢を主体とし、遠賀川式土器を伴っている。

 さて、縄文時代晩期後半の土器は、突帯文系土器から条痕文系土器へと変遷していることが知られている。ここで紹介している土器は、条痕文系土器の最初の段階である「樫王式」(豊川市樫王遺跡を標識遺跡とする)とよばれている土器型式に属するものである。

 条痕文系土器は縄文土器の流れをくむものであることから、縄文時代の最末期に位置づけられることが多かったのであるが、すでに述べたように、西浦遺跡をはじめとして「樫王式」を出土している遺跡では、遠賀川式土器を伴うことが多く、近年では弥生時代初頭の段階のものととらえられている。

 本資料は、一宮考古学会調査資料と合わせ、西浦遺跡出土資料として、東海地方西部の縄文時代終末期から弥生時代初頭の様相を考えるときには不可欠な資料である。

 なお、一宮考古学会調査資料は、2014年、同学会から受贈している。

※本資料は常設展テーマ2「稲作のはじまった頃」に展示しております。