コレクション

銅鐸

銅鐸を正面から見た写真

(正面)

銅鐸を側面から見た写真

(横位)

銅鐸を上から見た写真

(上面)

銅鐸を下からみた写真

(下面)

 弥生時代につくられた「カネ形」の青銅器を銅鐸と呼んでいる。その美しい幾何学的な形や文様、時に人やシカなどの絵が描かれていること、地中に埋納されたことなどから、古くから人々の興味を集めてきた。

 銅鐸は、扁平な筒形をした中空の身と、その上部の半円形の鈕と、身の左右についた鰭からなる。

 本資料は、小型の銅鐸で、通例よりさらに扁平である。  身の文様は、縦と横を格子文を充填した帯で四つの四角形をつくる四区袈裟襷文である。また、袈裟襷文の下方に鋸歯文帯、さらに裾に綾杉文を描く。

 袈裟襷文の上二区それぞれに孔があく。中空の鋳物である銅鐸を作るためには、外形を形作る外型と中空部分の内型をつなぎ固定するための突起が必要となる。この突起が、銅鐸を鋳だした時に孔として残り、型持孔と呼ばれている。これは、身の天井部(舞)にもあり、本例の場合は長方形の一つの孔となっている。また、多くの銅鐸には裾部にも型持孔があるが、この銅鐸の裾には型持孔がない。これは、裾にめぐる綾杉文の下方が途切れることからもわかるが、裾部を切っているためである。

 銅鐸は、本来棒状の舌が中に吊り下げられ、それが鐸にあたることで音を奏でた。そのため、身内面の舌があたる部分に突帯がめぐることが多い。本例も裾から約1.4センチメートルの高さに幅0.6センチメートルの突帯がめぐる。しかし、長期にわたって使われた明瞭な使用痕跡は観察できない。

 銅鐸の鈕は、「菱環鈕」「外縁付鈕」「扁平鈕」「突線付鈕」という順に形が変化することが明らかになっている。本例の場合、やや隆起し綾杉文を描いた部分(菱環)、その外側の鋸歯文を描く平らな部分(外縁)、さらに菱環の内側にも同心円状の線を施した平らな部分(内縁)をもつことから、扁平鈕に分類できる。この段階の銅鐸は、弥生時代中期に作られたたと考えられている。

 鰭部は、幅約1センチメートルほどと狭く、鈕との境界には、飾耳がわずかに突起してつくられる。飾耳より下方は鋸歯文が連続して描かれるが、裾部にはおそらく飾耳が変形した横線が描かれる。

 この銅鐸の特徴は、扁平鈕式銅鐸の多くが高さ40センチメートル程であることと比べ小型であること、身が扁平であることがある。また、文様の細かい構成などから、近畿西方でみられる銅鐸の一群との共通性があり、おそらく彼の地で作られたのであろう。

 さて、この銅鐸と似た資料がすでに知られている。それが、大阪の吉田屋木村喜左衛門氏所蔵として紹介された銅鐸である(木崎愛吉1919「大阪新町吉田屋の銅鐸」『考古学雑誌』9巻5号)。この資料は現在所在不明となっているが、館蔵銅鐸と比べると、高さや身・鈕の大きさはもちろん、身の形や袈裟襷文、鰭や鈕の鋸歯文、綾杉文の構成、型持孔の位置など多くの点で一致する(内面突帯の高さ〈一寸〉は異なる)。銅鐸には、同じ型でつくられた兄弟銅鐸が存在することがあるため、確定はできないが、ここで紹介した銅鐸が、木村氏旧蔵の銅鐸である可能性は高い。

銅鐸の実測図

吉田屋の銅鐸(木崎1919を改変)

分類番号:103-46 弥生時代中期
高さ:23.85㎝ 鈕高さ:5.65㎝ 身底部長径:10.6㎝ 短径:6.45㎝ 最大幅:13.4㎝ 重さ:635g