コレクション

ゆうぜつせんとうき
有舌尖頭器

石器の表面と裏面の写真
石器の断面・表面・側面・裏面を線で表現した実測図

 有舌尖頭器は草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に6区分される縄文時代の初頭である草創期中ごろにみられる石器である。基部に舌状の茎(なかご)のあることから有舌尖頭器あるいは有茎尖頭器(ゆうけいせんとうき)と呼ばれている。用途は槍の先につける穂先と考えられている。

 この有舌尖頭器は1918(大正7)年に採集され、採集者から地元の学校長の手を経て、当時、尋常小学校長であった小栗鉄次郎の所有となったものである。小栗の元に来たのがいつであったのかは正確にはわからないが、小栗が記した日誌の1926(大正15)年4月15日の項に、採集地である上川口地区の総代から「大石鏃」を地元に寄付をしてほしいとの依頼を受けたが断り、その代わりに同じ地区から出土した他の石鏃などをわたした、と記している。ここでいう「大石鏃」がこの有舌尖頭器をさすものと思われ、1918年から1926年の間に小栗がもつことになったのであろう。

 この石器の存在は古くから知られていた。1927(昭和2)年に新設された愛知県史蹟名勝天然紀念物調査会の主事となっていた小栗が1932年に著した「北設楽郡に於ける先史時代及原史時代遺蹟」の附編として作成した「愛知県内先史時代遺物発見地名表」(『愛知県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第十』が初出と思われる。地名表には「藤岡村大字上川口 石鏃、石槍」とある。写真・実測図などは掲載されていないが、「石槍」がこの有舌尖頭器をさすものであろう。

 採集地について「藤岡村上川口」のほかには情報はない。上川口は旧藤岡町の東端にあたり、東側は矢作川をはさんで旧足助町、北側は旧小原村と接している(現在はいずれも豊田市)。標高は矢作川の河川敷付近で100m前後、上川口三角点が288.9mで、地区の多くは山林が占めている。『藤岡村誌』(1974年)によると、旧藤岡町内には縄文土器片が採集されている地点が点在しており、この石器の採集地もそうした小規模な遺物散布地のひとつだったのであろう。

 石器は濃緑色を呈する緻密なチャート製。ややぬめり感のある独特な光沢があり、製作にあたって加熱処理がなされた可能性がある。

 長さに比して幅が大きく、かつ厚みもあるので全体にずんぐりとした印象を受ける。最大幅は逆刺(かえし)の位置にある。両側縁は逆刺から先端に向かって直線的にわずかにすぼまっていき、身部の先端側3分の1ほどの位置に傾斜変換点があり、そこから大きく湾曲して先端に至る。舌部は逆三角形に突出している。

 石器の表面に確認できる斜めに平行して並ぶ剥離(斜状平行剥離 しゃじょうへいこうはくり)が注目される。とりわけ身部右側縁から左下がりの剥離がめだつ。この石器に残されている斜状平行剥離は、もっとも見事なもののひとつで、美しささえ感じさせる。

 石器表面に残されているこれらの剥離面は、連続して剥離されたと考えられる面をまとめて、いくつかのグループに分けることができる。各面で、舌部を作り出している剥離面、身部を作り出している剥離面、先端部を作り出している剥離面の3グループにわけることができる。それらは、それぞれ右側縁からと左側縁からなされているので、片面で6面の剥離面グループとなる。

 各剥離面グループの切りあい関係を観察すると、この有舌尖頭器はまず中央の身部を作ったあと、舌部と先端部を作ったことがわかる。先端部の剥離面グループは、側縁の傾斜変換点よりも先端側だけにあり、剥離の方向も他のグループのものと異なる。本来もっと長かった有舌尖頭器の先端が破損し、それを再加工して再び有舌尖頭器にしあげるための剥離だと思われる。

 有舌尖頭器は、単独で採集されたり、発掘調査で出土する場合も単独出土したりすることが多い。東海地方においてもそうした傾向があり、とくに岐阜県南部から愛知県中央部にかけて多くの有舌尖頭器が知られている。ここで紹介した石器もそのひとつである。

縄文時代草創期 豊田市上川口町出土