太田製麺関係資料(市場の製麺店資料)
一昔前の名古屋の観光案内を開いて食事に関する項を見ると、かしわ、うなぎの他に、うどん、きしめんが挙げられることに気付く。
名古屋のうどんやきしめんは、ムロアジの節(むろ節)でだしを取り、たまり醤油で味付けをする。幅の広いきしめんの形だけでなく、だしや調味料も関東や関西と異なる独自の食文化だ。
うどんやきしめんを食べたければ、独立した店舗の他に、多くの店が入る小売市場も候補にのぼる。市場には麺を製造する製麺店があり、販売だけでなく、食事をとることのできる店も多い。このような市場は、名古屋ではおよそ100年の歴史がある。
名古屋に公設市場が設置されたのは、大正7年(1918)のことである。同年、米価をはじめとする物価高騰により、名古屋市内でも騒乱が起き、生活が困窮する人もあらわれた。そのような状況に対して、日用品の廉価供給を目的として公設市場が設置された(新修名古屋市史資料編編集委員会編 2009 『新修名古屋市史 資料編近代2』)。
その後、大正12年には私設の市場も誕生し、昭和7年には公設・私設の市場を合わせて100ヶ所以上になった。戦火により昭和20年には公私合わせて20ヶ所ほどになったが、昭和34年には公設8、私設305ヶ所と急激に増加した(名古屋市経済局総務課編 1959 『名古屋小売市場四十年史』)。市場は身近なものとして、至るところにあったわけである。
(写真)麺をゆでる様子 平成28年撮影
博物館前の市場「クック瑞穂」もそのような数多くある市場の一つだ。元々は「瑞穂百貨店」という名称で、一坪ほどの店が多数あったという。製麺店「太田製麺」は、その中で昭和23,4年(1948,9)ころに開店した。その後、平成28年まで店を続けた「おばちゃん」が嫁いできて、店の仕事をするようになったのは昭和37年のことである。
平成2年2月から、瑞穂百貨店の改装にあたって1年半の間、仮店舗で営業することになった。その際、太田製麺のおばちゃんは、一人で店を切り盛りするので女性でも扱えるようにと、大型の製麺機から小型の製麺機に買い換えた。きしめん、そば、中華そばの麺を製造し、当初はうどんの麺も製造していたという。
それまで太田製麺には机やカウンターなどはなかったが、時々店内で食事をさせることはあった。そこで、瑞穂百貨店が平成3年10月にクック瑞穂として再開した際に、食事ができるようにした。経営についての専門家には反対されたが、おばちゃんは自分のお客さんがあるからと5人掛けのカウンターを作った。
毎朝、麺をゆで、ムロアジとサバの荒削り節でだしを取り、つゆを作った。当初は販売していなかったが、分けてくれという声があり、つゆも販売するようになった。店の歴史を見ると、店とお客さんの関係が大切だったことがよく分かる。
平成28年9月に太田製麺は閉店した。製麺機や釜、麺を入れる容器やザルなど、店で使われていた機械や道具を博物館に寄贈していだいた。どこかの市場で、同じような機械や道具を目にしたことがある方も多いのではないだろうか。
博物館に寄贈していただいた機械や道具は、太田製麺という一軒の店の歴史に関する資料であり、近現代の商業の一例を示す資料である。また、どこにでもあるような日常に関する資料でもある。今後は、うどんやきしめんのような日常の食事をきっかけに、食文化や商業に関する地域の歴史と個人の思い出を振り返ることのできる資料として活用していきたい。
(写真)製造した麺(手前)と製麺機(奥) 平成28年撮影
(写真)ムロアジとサバの削り節 平成28年撮影
(長谷川洋一)
太田製麺が入居していた市場「クック瑞穂」は令和5年(2023)2月14日を以て全店が閉店した。
※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。