名古屋の円空仏
十二万体の仏像造像を誓願し全国を遊行しながら多くの仏像を残していった僧、円空。寛永9年(1632)に美濃国に生まれ、元禄8年(1695)に長良川河畔にて一生を終える。現存する円空仏は全国におよそ5350体、そのうち生国に近い名古屋には1900体近い多くの作品が現存している。円空が長らく滞在した観音寺(荒子観音・中川区)のように大小様々な群像を所蔵する寺院もある一方、1体の念持仏を代々伝えてきた旧家もある。名古屋市博物館は現在3体の円空仏を所蔵しているが、いずれも個人が大事に護持してきた仏像である。
本像は緑区鳴海町栢木(かやのき)の旧家、下郷家が維持していた観音堂に祀られていた像であった。観音堂が地域開発で立ち退くことになり、博物館開館以来、寄託品として長く保管され、平成16年度に寄贈を受けて当館の所蔵品となった。高さ135.8cmと円空仏としては大型の像であり、造形もきわめて丁寧である。円空の代表作の一つといえよう。右手は手のひらを見せる与願印を結び、左手には水瓶を掲げる。両足を肩幅に開き、蓮華と岩を組み合わせた台座に立っている。下半身の衣紋などの表現も特徴的で腰の下辺りから台座にかけて波頭ないしは雲気のようなものが彫り出されている。
背面には、円空による墨書が記されている。「本地観音十一面ニ応身金毘大善神」とあり、航海の神である金毘羅神(こんぴらしん)が十一面観音菩薩の姿をとって現れたということを示している。墨書に制作年も記されていたようだが、残念ながらその部分がすり切れてしまっていて、赤外線撮影でも判読できず確定できない。
名古屋城下木挽町の商家、大橋家に伝来した円空仏で、高さ22.3cmの小さな像でありながら、彫り口は鮮やかで、端正な表情を見せる。まげを結った頭部から首筋にかけて髪を垂らし、手は衣の中に隠す、禅画の白衣観音風の造形である。腰をしぼった臼のような台に乗り、初期の作風を示している。背面、底面には梵字と思われる円空による墨書が記されているが、光背を取り付けるために背中が削られており判別しがたい。
生前の円空は為政者から見れば怪しい行者であり、寛文6年(1666)には滞在していた弘前城下から追放された事がある。これにこりて、繁華な都市への滞在は避けて造仏活動を行っていた。名古屋でも都心部ではなく郊外の寺に円空仏は多く残っている。ただし、本像を伝えた家の他にも、名古屋の地誌『金鱗九十九塵』には、城下宮町の車工が円空仏を所持していた記事があり、何らかのつてで手に入れた円空仏を大事に護持してきた家も何軒かあったようである。
戦前に愛知県の文化財保護に尽力した小栗鉄次郎氏(1881~1968)の収集品である。小栗氏は太平洋戦争末期に名古屋城本丸御殿障壁画をはじめとする文化財を疎開させ、戦火から守った功績で知られている。戦前は愛知県の史蹟名勝天然紀念物調査会主事として、この地方の考古遺跡の発掘調査や出土品の保護にあたっていた。愛知県には県立の歴史博物館がなく、文化財や出土品の収集保管が困難であったため、個人的に購入したり譲り受けたりして保管し、散逸を防ぐこともあったようである。本像は昭和14年(1939)に市内の寺院関係者から譲り受けたことが背面のラベルに記されている。この寺院には他に円空仏は伝わっておらず、他の寺院の像、ないしは前述のような個人の念持仏が遷座を重ねたものであろう。小栗氏は当初は文化財として入手したのであろうが、後年には厨子に納めて供養していた。
本像は高さ31.0cm。全体的に手擦れしており、彫り口が甘くなってはいるものの、円空の真作とみてよかろう。像名は伝わっておらず、墨書もない。長頭巾をかぶり、道服をまとった様な姿で、手を袖の中に隠しており、衣のひだは明確には表されない。このような形態の像は観音像あるいは神社の神像として造像されている事が多いが、本像の場合、前頭部を斜めに削りあげていて、観音の標識である化仏が無いので、神像と考えられる。目鼻立ちや体側面の鰭状の切り込みは簡略化されており、円空の活動時期でも後半の作例と思われる。
平成28年度、博物館に新たな円空仏が寄託された。名古屋市南区豊田の神明社(御替地神明社)境内に合祀された小祠のうち、竜神社のご神体としてまつられてきた像である。御替地神明社は寛保元年(1741)ころに創建された神社だが、本像は背面の奉納銘から安永9年(1780)に観音寺(荒子観音)から神明社氏子の要望で移座してきたことが分かる。この前年、安永8年は庄内川・天白川で洪水が発生し流域に大きな被害をもたらしている。本像は、その鎮魂と治水の願いを込めて当社にもたらされたものであろう。桧材と思われる丸太を六つ割りにした三角形の材から彫り出された、高さ128.3cmの比較的大型の像であり、穏やかな像の容貌や、用材の節を生かした竜頭の造形など、円空仏の中でも出色の作例である。菩薩形(ぼさつぎょう)の人物に竜身(りゅうじん)が巻き付くようなかたちで表現されており、円空の作例の中では善女竜王(法華経の登場人物で女人成仏(にょにんじょうぶつ)を実証する)として作られることが多い造形であるが、伝承に従い竜神像と呼称する。
(山田伸彦)
※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。