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やねがみ
屋根神

屋根神とは

 昔の面影が残る名古屋の町を歩くと、民家の屋根に設けられた小さな祠(ほこら)を目にすることがある。この屋根の上の祠は「屋根神様」などと呼ばれ、名古屋市域で多くみられる。「軒の神様」、単に「神様」などと呼ばれることもあり、場合によっては軒下や台の上などでまつられる。このような信仰の形は全国的にみても珍しいものである。

 昭和50年から51年にかけて屋根神の実態調査を行った芥子川律治氏の研究によると、その分布は千種区2、東区36、北区6、西区129、中村区26、中区9、昭和区4、瑞穂区4、熱田区12、中川区16、市外10と圧倒的に西区が多い。そして、屋根神のはじまりは明治初期からで、昭和初期に広まったと考えられている(芥子川律治『屋根神さま』)。

屋根神の祭神

 中村区亀島一丁目でまつられていた屋根神(1)は、屋根の傾斜に沿うように底部が斜めになっている。この屋根神がまつられたのは毎月1日と15日、津島神社(津島市)・氏神(則武二丁目の水野社)・秋葉神社(熱田区の秋葉山円通寺)の祭礼の時であった。紫色の幕をはり、御神酒や野菜などを供えた。津島神社・熱田神宮(熱田区)・秋葉神社の提灯を揚げ、夕方になるとかがり火を焚いた。

屋根神(1)

屋根神(1)

まつられていたときの様子

まつられていたときの様子

 この屋根神のように津島神社、熱田神宮、秋葉神社の三社がまつられることが多い。屋根神は住居が密集した下町でまつられる。特に火事の被害は深刻な問題であり、火難除けで有名な秋葉神社がまつられた。また、疫病を防ぐ天王信仰で有名な津島神社が屋根神の信仰に結びついたのは、人口の多い町では伝染病もまた深刻な問題であったためである。火難や疫病除けの信仰に熱田神宮の信仰も加わり、屋根神は様々な性格を持つ神様としてまつられたのである。

屋根神と地域社会

 西区旧早苗町(現名駅二丁目)には三つの組があり、それぞれの組で屋根神がまつられていた。屋根神(2)はそのうちの1つであり、家々の間にある空き地の台の上にまつられていた。

屋根神(2)

屋根神(2)

 ここでも毎月1日と15日になると幕を張り、「熱田神宮」「秋葉神社」「津島神社」の提灯を揚げた。味噌や米、御神酒などを供えて、あたりが薄暗くなるとかがり火を焚いた。これらの役割は1ヶ月ごとに交代するので月番(つきばん)といった。前月の月番の家から「神様当番」と記された札を受けると玄関にかけておき、役割を終えると次の月番の家に札を回した。

屋根神の当番札

屋根神の当番札

 この屋根神がまつられなくなったのは昭和30年代である。そのころには、屋根神の前でかがり火を焚くことが難しくなっていた。生活の中で焚きものを使うことも少なくなっており、火難除けの意義も薄れていた。また、屋根神をまつっていた組は現在の組(以前の隣組)とは範囲や構成の異なる別のものであった。そのころの新住民は屋根神をまつる旧来の組に入ることは少なくなっていた。

 多くの屋根神はこのような生活や地域社会の変化にともなってまつられなくなった。明治から現在にいたる地域社会の変化とともにあったのである。

(長谷川洋一)