コレクション

おおすふたごやまこふんのがもんたいぶつじゅうきょう
大須二子山古墳の画文帯仏獣鏡

画文帯仏獣鏡

画文帯仏獣鏡

 この画文帯仏獣鏡は、中国の南北朝時代に作られた銅鏡で、現在フィギュアスケートの聖地「大須のスケートリンク」として親しまれる名古屋スポーツセンター(中区)の場所にかつて存在した大須二子山古墳から出土した。なお、名古屋市内には約200基の古墳が確認されており、その中でも60基あまりが集中する志段味古墳群(守山区)では調査と歴史公園整備が進められ、名古屋の古墳時代像が解き明かされつつある。

 画文帯仏獣鏡とは、縁に画文帯と呼ばれる、禽獣(きんじゅう)・羽人(うじん)・乗り物に乗った神仙などを表した文様をもち、その内側の主文様として仏像と獣を表現している鏡である。主文様は、4つの環状の突起(乳(にゅう))を抱えこむように霊獣が4体表現され、その間に立像と坐像と半跏像の3体を1組、立像と坐像の2体を1組としたものそれぞれを交互に2組ずつ描かれている。

 中国の銅鏡は、中国古来の神々の世界や神仙思想を反映したものであり、神仙や伝説上の獣などを表現するものが普通である。画文帯「仏」獣鏡のように仏が表現されているものは多くない。しかし、中国でも南北朝時代には仏教が普及し、そうした当時の潮流を知ることができる重要な文様構成である。

 この鏡でさらに重要なことは、同じ形・文様をもち、鋳型の傷あとまで共通する「同型鏡(どうけいきょう)」が存在することである。現在、千葉県鶴巻塚古墳出土鏡、岡山県王墓山古墳出土鏡、そして、中国北京故宮博物院の所蔵鏡が判明している。このことから、中国でつくられた鏡が日本にもたらされたと考えられる。

 大須二子山古墳は、6世紀前半の前方後円墳で、規模は不明な部分もあるが墳長150メートルに達する可能性が指摘される大型古墳である。今は消滅してしまったが、画文帯仏獣鏡とともに画文帯神獣鏡や一部金銅装をした甲冑、青銅製の鈴付腕輪など豪奢な副葬品(いずれも名古屋市指定文化財)が出土した。これらの宝器を手に入れた大須二子山古墳の被葬者とはいかなる人物であったのであろうか。5世紀には中国南朝に対して倭の五王の遣使がおこなわれた。大須二子山古墳出土鏡も、こうした機会にもたらされた可能性がある、中国と古墳時代の日本の交流の証である。

(藤井康隆)

名古屋市指定文化財 中国南北朝(5~6世紀) 中区大須二子山古墳出土(古墳時代後期) 直径21.5cm

※本資料は常設展テーマ3「古墳とその時代」に展示しております。