コレクション

だいぎばいりんいせき・かけがみかいづかしゅつどのぱれすすたいるつぼ
大喜梅林遺跡・欠上貝塚出土のパレススタイル壺

壺写真

パレススタイル壺(赤彩広口壺)

 瑞穂区田光町(たこうちょう)・大喜町(だいぎちょう)一帯に所在する大喜梅林遺跡・欠上貝塚から出土した弥生時代後期の壺形の土器である。現在、大喜梅林遺跡と欠上貝塚は別遺跡とされており、本資料は欠上貝塚とされている範囲から出土したようである。

 球形の胴部に、横に大きく開いた口縁部がつく器形である。口縁部は途中で折れ、屈折部より上位は幅広い面をなし、貝殻による3段の刺突文が施されている。屈折部より下位の無文部にベンガラによる赤彩が施されている。胴部の外面には、櫛または貝殻による直線文3段の間にヘラによる山形の文様が施されている。文様部の一番下には、ヘラの先と思われる刺突文が施される。その刺突文より下には赤彩が施されている。

 本資料のように、赤彩や文様によって華やかな装飾がなされている当地方の弥生時代後期の土器は「パレススタイル土器」と呼ばれている。日本考古学の祖である濱田耕作(はまだこうさく)が、このように飾られた土器が、ギリシャ陶器の中で宮廷(パレス)から出土するものの華やかさに匹敵するとして、「パレース式」と呼んだことによる。濱田がこう呼んだ中には、赤彩がないものもあったが、現在では、伊勢湾沿岸の弥生時代後期の土器の中で、赤彩、文様によって装飾された土器を「パレス式土器」「パレススタイル土器」と呼んでいる。

 パレススタイル土器には、壺や高杯、器台など様々な用途の土器があるが、液体などを貯蔵するための壺が最も一般的で、弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての約200年以上にわたって生産され、使用された。

 このように華やかに飾られた本資料は、どのように使われたのであろうか。出土した状況から検討しておこう。本資料が出土した欠上貝塚を調査した坪井邦夫(つぼいくにお)によると、本遺跡には約280㎡に及ぶ、厚さ30~40cmの貝層が見られたという。貝層には縄文時代のものと中世のものがあったようだが、このうちの縄文時代の貝層を壊す、幅1m、深さ1.2mほどの溝があり、この溝から弥生土器が出土することが確認されている。このように欠上貝塚では弥生時代の遺構は確認されているものの、本資料が貝塚のどの部分の遺構から出土したのかは不明である。

 パレススタイル土器は、装飾性が豊かで、丁寧に飾られている個体も多いため、儀礼や祭祀などの場面で使用されたと考えられることが多い。方形周溝墓と呼ばれる墓からの出土例が目立つため、葬送の儀礼に用いられたこともあったようである。欠上貝塚でも上述のように方形周溝墓の可能性もある弥生時代の溝が見つかっており、墓に供えられたものの可能性もある。しかし、パレススタイル壺は、竪穴住居から他の土器と一緒に出土することもあり、一概には決められない。本資料がいかに使われたかについて、残念ながら確かなことはわからない。

 博物館の常設展では、本資料の模型に貝殻や櫛などで文様をつける体験を行っている。弥生土器の文様は、単なる飾りではなく、集団の約束事に従って施され、何らかの社会的な役割を果たすことを期待されていたと言われている。本資料のように装飾性の高い土器についてはなおさらである。本資料でも、文様ごとに文様をつける道具が違っていることや、文様と赤彩が重ならないように施されている等、何らかの約束事があったことがうかがえる。どの様な文様がどこに付けられているかをよく観察し、弥生時代の人たちになったつもりで文様付けを試してみてほしい。

(村木誠)

名古屋市瑞穂区 大喜梅林遺跡 ・欠上貝塚出土 弥生時代後期

口径23.8cm 器高35.9cm(復元推定)

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