展示

常設展テーマ10 近世尾張の文化

文書に見る小牧・長久手の戦い

令和5年6月28日(水曜)から8月27日(日曜)

 「小牧・長久手の戦い」は、天正12年(1584)3月から11月にわたり、羽柴秀吉と、徳川家康・織田信雄[のぶかつ]の連合軍により、尾張地域を中心に広範囲にわたって展開された合戦です。織田信長死後の覇権をめぐって、秀吉と家康が相まみえました。

 この戦いでは、4月9日におきた長久手の合戦が大きくクローズアップされますが。それ以前、また以後も戦闘が継続しました。さらに自軍を有利に導くため、在地の勢力等を味方につけるための文書も多数発給されました。それらからは、実際の交戦だけが合戦のすべてではなかったことが浮かび上がってきます。

 今回の展示では、安堵状[あんどじょう]や禁制[きんぜい]といった文書を「武器」としてとらえ、文書発給が戦いの重要な要素であったことを紹介します。あわせて、戦いのもう一つの側面として、実際に長久手の合戦で命を落とした武将・森長可[ながよし]の遺言状も公開します。

徳川家康から熱田の有力町人にあてた手紙

徳川家康判物 天正12年 3月25日付 加藤隼人佐宛 個人蔵

羽柴秀吉が出した寺境内での禁止事項一覧

羽柴秀吉禁制 天正12年5月付 実成寺并諸末寺・本遠寺・妙勝寺宛 妙勝寺蔵

森長可[ながよし]が仲間の武将に託した遺言状

森長可遺言状 天正12年3月26日付 尾藤知宣宛 館蔵