展示

2 稲作のはじまった頃

名古屋市博物館は、リニューアル改修に伴い令和5年10月1日(日曜)から令和8年度(予定)まで長期休館中です。こちらのページは休館前の常設展示室の様子になります。

問題

解答

今から二千数百年前、朝鮮半島から伝わった米づくりと金属器の使用を特徴とする文化が北九州で始まった。この文化は短期間に西日本から伊勢湾沿岸にまで伝わり、やがて東日本へと広がっていった。稲作農耕を基盤にした文化の伝播により、それまでの人々の生活や社会の仕組みは大きく変わった。この新しい文化を弥生文化と呼び、古墳が現れる3世紀末頃までを弥生時代と呼ぶ。

稲作の始まった頃展示風景

2-1 弥生時代のくらし

弥生時代の社会は、稲作農耕を基盤とする社会で、定住的な集落――ムラが各地に発達した。ムラは、水田経営に都合のよい低湿地を臨む場所につくられることが多かった。農耕が行われたとはいえ、狩猟や漁撈・植物採集も食料を得る重要な手段であった。また、機織りの技術が普及し、織った布が衣服の素材として用いられるようになった。

弥生土器(やよいどき)

弥生土器
(やよいどき)

2-2 弥生時代の精神生活

弥生時代には銅鐸(どうたく)や銅剣などの青銅器、人物や鳥などをかたどった土製品や木製品、占いのための卜骨(ぼっこつ)など実用に適さない道具が多くある。これらは豊作を祈るまつりなど、ムラの儀式に使われたようである。また、ムラの外に墓域を設けて死者を葬るようになった。ムラの中に墓地を作っていた縄文時代とは、死者に対する考えかたに変化のあったことがわかる。

銅鐸(どうたく)

銅鐸
(どうたく)