住吉蒔絵硯箱 山本春正作
総梨子地のこの硯箱は縦27.1㎝横23.9㎝高5.3㎝、やや縦長の方形の被(かぶせ)蓋造(ぶたづくり)で、蓋の表・裏と身の見込(みこみ)に蒔絵で住吉の景が描き出された作品である。各縁は角を削って丸みをつけて両側に刻み目を入れた几帳面(きちょうめん)で、四隅に唐草文地に十六葉一重の菊紋を二つ連ねた小さな飾金具を模した金蒔絵が施されるなど細部まで精緻な造りである。
住吉蒔絵硯箱
作者を示す銘はない。ただし、外箱の見込墨書および蓋裏墨書に拠れば、山本春(しゅん)正(しょう)作、京都泉涌寺(せんにゅうじ)旧蔵の東山天皇(1678~1710【在位1687~1709】)遺愛の品である。蓋の表・裏の図様が二つながら蒔絵師春正の硯箱下絵集と言うべき『春正百図』に掲載されていること、および尾張藩士高力(こうりき)種(たね)信(のぶ)(1756~1831)の手になる『猿猴庵(えんこうあん)合集 五篇』(天明5年【1785】成立)中の挿画と「住吉形の御硯箱ハ東山院帝の御勅物」との記述によって、この硯箱が天明4年(1784)の名古屋における京都泉涌寺出開帳に出品されていたことが判明しており、これら二件の事例に拠って箱書の由緒が裏付けられている。
住吉蒔絵硯箱 蓋裏
同 蓋表
『春正百図』より
『猿猴庵(えんこうあん)合集 五篇』より「泉涌寺開帳」の挿画
なお、この挿画はよく描き込まれており、外箱蓋裏貼紙墨書に硯箱の附属品として記されながら今は失われて無い水滴、硯、墨が桟(さん)に区分された身の見込(みこみ)に収まっている様子が分かる。なかでも、描かれた水滴は墨書にある「住吉文字之水入」の描写と合致し、この硯箱の意匠が確かに「住吉」の景色を表していることを示している。
『猿猴庵(えんこうあん)合集 五篇』より「泉寺開帳」の挿画(部分)
住吉蒔絵硯箱 身の見込
外箱蓋裏貼紙墨書
「山本春正」は代々「春正」を名乗る蒔絵師の家系で、江戸時代中期以降、京都から名古屋へ居を移して活躍した。本硯箱は、二代春正景正(1641~1707)もしくは三代春正政幸(1654~1740)が制作したと推定できる京都時代の作例である。
さて、本硯箱の住吉社頭を描き出した景色の舞台「住吉」は、「住吉」もしくは「住の江」として和歌によく詠み込まれた地、すなわち「歌枕(うたまくら)」の一つとして有名である。
今日に至るまで最もよく知られている秀歌撰と言ってよい『小倉百人一首』(藤原定家【1162~1241】撰と推定)にも、
住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ 18番 藤原敏行
の一首が採られている。
また、最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』(延喜5年【905】成立)に、
我見ても久しくなりぬ住江の 岸の姫松いくよへぬらん 雑歌上 905番
住吉の岸の姫松人ならば いく世経しと問はましものを 雑歌上 906番
の二首が採られているが、これは『伊勢物語』117段に帝の歌・それに応じた住吉神の返歌として登場する和歌でもある。
このように和歌によく詠まれてきた「住吉」の景色は、中世までは浜の松に住吉の神使鷺を添えて住吉の浜を象徴的に表して、そこに月や淡路島など和歌に詠まれるモチーフを添える詩的なイメージであったものが、歌に詠まれない鳥居や太鼓橋に松を添えるという現実的なイメージへと次第に変化し、近世にはそれが定着していったとする考察がなされている。工芸分野のみに留まらず、名所絵や歌意絵、源氏物語「澪標」・「若菜」、伊勢物語第68段、117段など様々な物語の絵画作品における場面描写にもそれは表れている。
これに拠れば、蓋表に打ち寄せる波と浜松に鳥居、蓋裏に松と太鼓橋を配した本硯箱の図様は近世的「住吉」のイメージによる工芸作品の典型例と言えよう。
ここで、本硯箱の蒔絵表現について改めて注目してみる。
目につくのは、まず、蓋表・裏とも高蒔絵で大きく描き出された松の傑出した立体感である。濃く金を蒔いて盛り上がった幹に葉群。葉群の上には松葉一本一本が細いながら明確な輪郭を保って際立ち、全体としてやや銅色を帯びた華やかな総梨子地に負けぬ煌めきを放っている。
また、現状では酸化してやや黒ずんでいるが、蓋表の波と蓋裏の太鼓橋が架かる川の流れが波立つ様を研(とぎ)出(だし)蒔絵の水紋の金の輪郭線に沿って所々銀砂子を蒔いて表し、蓋表の銀の金(かな)貝(がい)による大きな鳥居と共に、金彩だけの単調さを払拭する効果を上げている。制作された当時は白銀の輝きを放って、月光を受けて輝く沖の白波や川の流れの煌めきを伺わせたかもしれない。
これら金銀の輝きに加えて、本物の貝などが嵌入(かんにゅう)されている浜辺の貝は、白色、乳白色、瑪瑙のような赤味を帯びた色など多彩で、一層の華やぎを添えている。
際だった蒔絵表現で描き出された松、波、そして嵌入による貝。いずれも「住吉」という歌枕と共に和歌に詠み込まれてきたモチーフであり、「住吉蒔絵」の銘を持つ漆工作品において大きく採りあげられ表現されてきた先例がある。
和歌に取りあげられ続けてきたモチーフの蒔絵表現の美々しさが「住吉」の詩的なイメージの残像を醸しだし、その中に写実的な鳥居と太鼓橋が大きく据えられて、近世的イメージの典型例を造り上げている、とでも言おうか。
東山天皇遺愛の品との由緒にふさわしい美麗さは、17世紀後半から18世紀初頭の古今伝授を初めとして伊勢物語・源氏物語など古典への愛好が著しかった時期の宮廷文化の一端を伺わせる。
(塚原明子)
※本資料は常設展示しておりません。あしからずご了承ください。
小川幹生「(資料紹介)住吉蒔絵硯箱について(付)山本春正家資料」・『名古屋市博物館研究紀要』第11号 昭和63年
『愛知県史 別編文化財5工芸』第5章第2節 主要作品解説 231 住吉蒔絵硯箱 平成30年
土井久美子「描かれた住吉のイメージ 浜松・鷺から太鼓橋へ」他・大阪市立美術館特別展図録『住吉大社一八〇〇年の歴史と美術 住吉さん』 平成22年
鈴木健一『近世堂上歌壇の研究』増訂版 平成21年
徳川美術館図録『絵画でつづる源氏物語―描き継がれた源氏絵の系譜』 平成17年